活動会員のレポート

カンツォーネの故郷を訪ねて

鍬形 くわがた いさお (留学生支援コーディネーター、元 伊藤忠商事)


 遥か昔私が受験生の頃、ラジオから流れる受験講座の合間に、実家に古くからあったレコードをよく聴いたことがあった。レコードといっても今では見られない78回転の黒色のSPレコードで、iPod、CD、LP等と比べると音質、演奏時間共に劣り、針音はするし3分ほどで終わってしまう代物であった。それを演奏する機械も電蓄(電気蓄音機)といい小型の冷蔵庫ほどの大きさのものであった。重たいSPレコードのコレクションには、レハールの「金と銀」や「メリーウイドウ」等オペレッタが多かったが、その中にベニヤミーノ・ジーリが唄う「Le rondini al nido(巣に帰るつばめ)」というカンツォーネがあった。レコードジャケットには、「つばめとは過ぎ去りし恋にして、季節が巡れども戻るをあたわず。ジーリ氏の熱唱を賞賛すべし」というような内容が書かれてあった記憶がある。当時、この歌の内容はこれしかわからず、受験英語に忙しい身でイタリア語の翻訳までは手が回わらなかったが、この曲のゆったりと流れるようなメロディー、フルートで表現したツバメのさえずり、甘く訴えるようなバイオリンの音色を聞けば、十分に歌のテーマを想像できる曲であった。
 幾たびか季節が巡り、大学での第2外国語の選択は躊躇なくイタリア語を選んだのも、受験時代に聴いたあのカンツォーネの意味を知りたいという単純な動機であったと思われる。基礎文法もそこそこに、早速手がけたのは「巣に帰るつばめ」の訳詞である。

  高き塔の庇に、今年もツバメが帰り来る、
  遥かなる海山を、ものともせず、何時もの季節に。
  されど、愛は過ぎ去りて、帰ることなし 我が胸に。

  夕暮れの、黄昏の中、春が忍び寄り、
  ツバメは喜びに溢れ、家路を急ぐ。
  我はただ一人、帰りこぬ人を待ち、夕闇が忍び寄る。

 再び星が巡り私は海外勤務となり、憧れの地イタリアの「カンツォーネ紀行」に出かける機会が訪れた。直接のテーマは、その当時流行し始めた「ケ・サラ」の舞台と思われる「パエーゼ(丘の上の小さな古い町)」であった。(岩谷時子氏訳詩)

  平和で美しい国、信じあえる人々
  だけど明日はどうなることやら
  だれも分かりはしないさ

 静かでゆったりとした時が流れる故郷は、子供や老人にはかけがえのない棲家だが、冒険や夢を抱く若者にとっては、倦怠とけだるさだけの場所に見える。今日も一人町を離れ明日もまた誰か都会へ旅立っていく。日本にもある過疎の町。
 多くの日本の村や町は山や里山に囲まれた平地にあるためか、異郷や都会への憧れは「山(丘)を越える」という動作や言葉に象徴されているようである。
 童謡「叱られて」の中の歌詞には「二人のお里はあの山を越えてあなたの花の村…」
 歌謡曲「丘を越えて」には「丘を越えて行こよ、真澄の空はほがらかに晴れて…」
 山の向こうには現実の厳しさとは異なるやさしさや希望があるという発想である。
 一方海賊や疫病から逃れるために中世の南欧の村や町は丘(山)の上にあり、そのために鉄道や幹線道路から外れ、昔ながらの生活が続いている村や町パエーゼ(国=故郷)は離れがたい寝床のようなものなのであろう。パエーゼの温かみから出て厳しい現実の待つ都会に挑む若者たちの心情を「ケ・サラ(=なんとかなるさ)」という言葉で表現されている。
 このような場面を求めて私が訪れたのはトスカーナ地方の町や村であった。村や町の広場には何か変化を求めるような眼差しの、人懐っこい若者たちが所在なくたむろしていた。7月の日差しを避けながら石畳の辻を歩いていると、どこからかラジオ(と思われる)の音楽が聞こえてきた。♪Sotto la gronda della torre antica♪(古い塔の庇の下に…)「あっ!あの曲だ!ディ・ステーファノかな?タリアビーニかな?」「ケ・サラ」の背景探しに夢中になっていて「巣にかえるツバメ」のことをすっかり忘れていた私に、この唄は強力な存在感を与えた。テノールの朗々とした声が石畳や通りの建物に響き、しばらく呆然として聞き入っていた。  歌声にまじり昼食の準備をする皿や食器の音、子供たちの叫び声、残念ながら7月になったためかツバメの飛来は見られなかったものの、私はまさにこの曲が生まれた場所に今立っているような気持ちになった。ラジオの次の曲は、メロディーも歌詞もあまり興味を引くものでなかったため、急に空腹を覚えた。
 「ケ・サラ」と「巣に帰るツバメ」は作曲された年代が30年以上も離れているが、なにか相通ずるものがある。「変化を求めて町を出て行く若者たち」「その帰りを待ちわびる親や恋人たち」まさに一対のドラマのようである。このドラマの状況は他のカンツォーネ「勿忘草」も同じで、やはり町を出て行った者をツバメにたとえている。

  寒き我が町より ツバメは飛び去って行く。
  スミレの春を待たず 別れの言葉もなく。
  忘れないでおくれ 私のことを
  私の胸には 何時も君の帰る巣があるのだから…

 後年、「ニューシネマ・パラダイス」という名画が上映されたが、この映画もまた故郷を飛び立った主人公トト(サルバトーレ)と故郷で待つ母親、そして父親代わりであった映写技師のドラマだった。
 イタリア人の美的感覚の凄さは、切ない感情を表現するのに、短調(マイナー)や雨や霧、夜などを用いずに、長調(例、Cメジャー)や澄み渡った青空、明るい表情でそれを表現してしまうことである。この映画の作曲家エンニオ・モリコーネも、さらっと水や風が通り過ぎるような旋律で表現している。さりげなく明るい音楽や上演者の表情がかえって、研ぎ澄まされた透明感を醸し出していた。モーツアルトの音楽もこの透明感で構成されており、この偉大な音楽家も透明感を幼少の頃のイタリア旅行で感得したものではないかと思われる。
 おや、どこからか香ばしいステーキの香りが漂ってきた。
 さあ、一緒に昼食にしませんか?あの木陰のテーブルが良いですね。それでは、ブオナペティート!