活動会員のレポート

東京外国語大学の「日本語広場」

  北村 きたむら ひろし (元 伊藤忠商事)


東京外国語大学にて

 東京外国語大学(東京外大)にも日本語広場がある。同大の留学生支援の会が主宰し、同大に滞在中の研究者・留学生およびその家族を対象として、ABICが講師派遣に協力し、初歩的な日本語の指導に当たっている。日本滞在中に日本語に親しみ、日本という国を知ってもらうべく手助けをしているものである。思い返せばこの東京外大での日本語広場発足に大きく関与されたABICのコーディネーターから話をいただき、10年近くにわたりさまざまな国の方と勉強してきた。異文化の方々と多岐の交流ができたことは私にとっても貴重な時間であった。この度講師を退くに当たり記録を見ると、人数で21人、国の数では14ヵ国の皆さんと勉強してきたことに改めて感慨を覚える。基本的に、受講する方は家族の日本滞在に伴い、自身の希望はさておき、家族と生活を共にするために来日するケースが多かった。ほとんどの皆さんは日本語学習の経験はなく、一からのスタートという状況だった。厚紙でカードを作ったり、漫画の吹き出しを空白にしたり、カルタ式のゲームをしたり…。日本語に興味を抱いてもらうべく、遊びも含めて楽しく勉強できたと思っている。面白さを感じて短期間で上達する方もいれば、時間をかけてもなかなか…という方もいる。語学学習への向き不向きもあるのかもしれない。でもそんなことは問題ではなく、貴重な日本滞在中に、日本語を学ぼうという意欲があり、その結果として日本での時間がより愉快なものとなり、来日して良かったと思ってもらえれば日本語広場の存在意義は意外に大きなものかもしれない。
 幾つかエピソードを挙げると、私の最初の受講者は豪州の民族文化研究者の奥さまDさんと、イランのペルシャ語の先生のご主人Rさんの二人だった。二人とも日本についての質問に熱心で、日本語の勉強がそっちのけになることが頻繁にあった。この二人は帰国後も、「あの時間は楽しみでした。でも日本語はすっかり忘れました」とメールをしてくる。楽しい時間を持てたことは私にとってもうれしいことだ。Dさんは「ぜひとも」と、東京国際交流館(TIEC)でABICが運営する日本語広場を見学したこともあった。
 インドネシア語のK先生は語学の先生にしては日本語の進捗しんちょくは実にゆっくりで、「ウサギとカメ」のカメさんを思わせる着実な方だった。東京外大の学内で定期的に行われるバザー用と思われるガラスケース入りの日本人形が目に留まり、どうしても欲しいと言うので、私から東京外大の留学生支援の会にお願いをし、超特価でお譲りした。あのうれしそうなK先生の顔…。ガラスが割れずに無事届き、ジャカルタの居間で興を添えているだろうか。
 ドイツのご夫婦AさんとMさんは帰国後に街角で見かけた漢字の写真を送ってきて、「この日本語はどんな意味ですか?」と。よく見るとそれは日本語ではなく中国語の商品広告だった。漢字に接した時の欧米人の反応を垣間見る気がした。AさんとMさん、とっさに「日本語だ!」と思ってくれてありがとう。
 内モンゴル(中国)の歴史研究者Tさんは、日本滞在中の生活がよほど気に入ったと見え、「日本語も少し話せるようになり、快適で楽しい経験だった。大学に勤務しているが、再度外国に出る機会があれば日本以外にはない」とうれしいことを言ってくれる。
 日本という国に数年滞在した方々が将来もそのことを懐かしんでくれること、場合によりそれを誇りに思ってくれることは、日本人としてはやはりうれしいことである。
 述べてきたようにこの日本語広場は、日本語を勉学の本業としている人のためではなく、あくまで滞在者の日常生活に資するために存在する。その意味ではABICがTIECで運営する日本語広場初級と相当部分その理念は重なっている。ここ数年コロナ禍でお休みすることが多く心残りではあるが、後任の講師や他の日本語講師の皆さまが「東京外大の日本語広場」を盛り上げてくださることを心から期待したい。今後も東京外大とABICの提携関係がより広範に、そして日常的なものとして発展していくよう願うものである。