マンスリー・レポート No.20 (2002年6月)
活動会員のレポート
  ボリビア日系人社会
    角井 信行(元 丸紅・在サンタクルス)
ボリビア日系協会連合会事務所にて
比嘉トマス事務局長と筆者(左)

 2001年7月からJICA日系社会シニアボランティアとして南米の内陸国ボリビアのサンタクルス市に来ている。丸紅勤務時代のコスタリカ、カナダ、チリ、ペルー、インドネシアに次いで6度目の海外生活であるが、今回は売り上げや利益に追い駆けられることなく、ボリビア日系協会連合会の顧問として日系人をサポートするのが仕事である。

 日本人のボリビアへの移住は1899年ペルーに着いた第1回ペルー移民790名のうち91名が、過酷な農場労働を逃れて、標高4,000mのアンデスを越え、天然ゴム採集のためボリビア北部の奥アマゾン源流地帯に入ったのが嚆矢(こうし)とされている。初期の入植日本人は2,000名に上ったと思われ、現在5世まで出ているものの例外なく混血で、長年日本文化に接することなく過ごし、わずかに姓名に日本語が残っているのみ。

 一方、1910年ごろ鉱産資源国のボリビア、ペルー、チリではアンデス高地に鉄道敷設ブームが起こり、多数の労働者が集まってきた。日本人もこれに加わり、今で言う3K労働で貯めた小資本を元手に海抜3,600mの首都ラパスをはじめとする主要都市に小規模商店を開業し、その後身内、友人を日本から呼び寄せていった。この呼び寄せは第2次世界大戦の一時期を除き、戦後の高度成長期前まで続いた。

 錫、銅、鉛、アンチモニー、タングステンなどの軍需鉱産物の生産国であるボリビアは、第2次大戦では、米国の圧力に押されて1942年日本に宣戦を布告、日本人は資産凍結、在米収容所抑留などの迫害を受けた。

 戦後の米軍占領下における日本の農地・雇用問題への対応策のひとつとして、ボリビア東部サンタクルス市北部への農業移民が計画され、沖縄から現在のオキナワ移住地に1954年より1988年まで49次にわたり584家族、3,385名が入植した。2001年12月現在、238戸、828名が定住しており、46,890ヘクタールを所有している。主要産物に大豆、小麦、米、トウモロコシ、キビ、ヒマワリ、食肉がある。

 また、沖縄以外の日本各地からは現在のサンファン移住地に1955年より1992年まで53次にわたり1,679名が入植した。2001年12月現在、242戸、754名が定住しており、27,132ヘクタールを所有している。主要産物に米、大豆、鶏卵、柑橘果物、食肉、マカダミアナッツがある。鶏卵ではボリビア市場の35%、首都ラパス市場の60%を供給する有力産業となっている。

 戦前からの移住者総数は約6,600名、混血をも含めた日系人の人数は13,000名程度とみられている。その中には政治家、軍人、高級官僚、実業家、詩人、画家などの分野で名をあげた日系人が出てきている。これら著名人に共通しているのは、その両親が日本人としての価値観と文化(正直・誠実・勤勉)をしっかりと二世たちに伝えていることである。真面目な努力が評価される日本で育ち、それを子孫に伝えた先人の気迫と志の高さを、アマゾン川上流の100万都市サンタクルスで、仰ぎ見る思いである。

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