マンスリー・レポート No.34 (2003年10月)
活動会員のレポート
  NGO「地雷除去支援の会」に参加して
   

加藤 智弘(元 ニチメン)

地雷除去作業模擬体験中の筆者

 地雷除去を民生技術・資材面で後方支援をしているNGO「人道目的の地雷除去支援の会(JAHDSジャッズ)」のシニア・アドバイザーとして2002年4月から活動している。

 JAHDSは1998年に特定非営利活動法人の認定を受け、今年の3月で5周年を迎えた。セコム、トヨタ、ホンダ、ソニー、日本IBMなど、日本財界のトップ企業の重鎮たちが小さなNGOを応援している。JAHDSはその名称どおり、後方支援に徹し、防具を付けて地雷探知をしたり、除去するなどの危険な作業はない。除去員は地元の人たちが原則で、それが彼らの生活を支える職業にもなっている。

 金属探知機は戦前に開発されて以来、同じ原理のものが世界各地で使用されているが、地雷の方は日進月歩で、小型化、軽量化が進み、プラスチック製が主体となった。爆破力も強化され、仕掛けも巧妙、その種類は300種を優に超えている。金属探知機はあらゆる鉄分に反応してその存在を音で知らせる。重装備で数十分、緊張作業をしたあげく、たどり着いたのが釘一本といった徒労は日常茶飯事である。実際にJAHDSが関わった地雷原で、200回掘ってやっと地雷にめぐり会うという激務を何度も経験している。仮に新たな地雷の埋設が皆無として、現在世界の71ヵ国に7,000万から1億2,000万個は眠っていると推測される地雷をすべて取り除くのは「千年単位の仕事」と言われている。

マイン・アイおよび地雷犬を使ったオペレーション

 97年、JAHDSの理事企業数社が協力して、材質にかかわらず、地中物体を特殊モニターに三次元で映し出すという世界初のレーダー式地雷探知機を完成させ、「マイン・アイ(地雷探査の眼)」と名付けた。これが、小渕外相(当時)の目にとまり、同年の対人地雷禁止条約(オタワ条約)締約国会議にて日本は地雷除去に技術面より支援する旨の提言につながった。こうした背景から98年、民生技術を結集して国際協力するという世界に類をみないNPO「地雷除去支援の会」が誕生した。

 マイン・アイの開発と並行して、支援企業から四輪駆動車、悪路対応二輪車、洗浄用高圧ポンプ、発電機等の寄贈を受け、カンボジアとタイで活躍する除去部隊に贈与する支援を拡大した。続いて日本政府を含むドナーからの支援金によって賄った特殊トラック、金属探知機、防具、備品、救急医療キット等の提供を開始した。さらに昨年は日本政府の草の根資金によってタイの除去チームに対し、マイン・アイの操作技術を6ヵ月間にわたって教育する技術移転プロジェクトが成功裏に終了した。

 現在最も燃えているのは、タイ、カンボジア国境で展開中のタイ王国の歴史的文化遺産サドック コックトム寺院(SDOK KOKTHOM:SKT)地雷除去プロジェクトである。SKTはアンコールワット風の石造建造物で、敷地面積はサッカーコート60面に相当する50万m2ほどである。アンコールワットより100年ほど古い1052年に建立された。クメール遺跡の中では小粒な方であるが、1930年代に歴史上貴重な2柱の石碑が発掘されたことで一躍世界中に知れわたった。

タイ王国の歴史的文化遺産
サドック コックトム寺院

 地元民の精神的な拠り所でもあるSKTは、70年代のタイ軍とクメールルージュとの戦闘時に多数の地雷が埋められ、また長年にわたる自然崩壊に加え、紛争時に中央聖堂をはじめ経蔵、塔門、外壁等が人為的に著しく破壊された。戦闘終了後、地元民、歴史家、宗教家、メディア等が中央政府に早期修復を働きかけたが、予算不足を理由に長年放置されたままであった。2002年初めにやっと財政のめどがつき、タイ文化省による修復作業が開始された直後に対人地雷が発見された。即刻タイの政府系地雷除去団体に撤去を要請したが、農耕地帯の安全確保に手一杯として、修復作業は再度暗礁に乗り上げてしまった。JAHDSに参加してひと月目の昨年5月はまさにこのような状況の中であり、地元住民の嘆きと再生への夢をじかに見聞することになった。

 日本からの支援で何とかならないか、同行のJAHDS事務局長とその場で協議の結果、JAHDSの次期プロジェクト候補とすることを即決した。いったん東京に戻り、6月に再度現地入りし、現地パートナーとの共同事業計画の策定を開始した。総予算額約2億円、期間1年、除去面積40万m2、除去員数30名などの内容で、地元住民と地元NPO、政府系除去団体とのタイアップが9月にまとまった。現場で指揮をとる地雷エキスパートを国連の紹介で急遽きゅうきょ雇用し、翌10月に着任した。タイでは5月ごろから半年間雨季になる。雨季には作業能率が半分に落ちる。雨季入り前に除去面積を稼がねばならない。他方、東京本部では必死の努力にもかかわらず資金調達がはかどらない中で、現地ではすでに雨季が明けてしまった。本部に泣きついて、農民出身除去員14名の給与と最低規模の資材・装備費を運営費の先食いで調達し、昨年12月2日、SKTの一角で、細々ながら除去作業に着手した。

 今年2月に入って、タイの除去センターから地雷犬、植生伐採機、プロの除去員5名が加わった。同時期に日本外務省のNGO支援無償資金7,700万円の支給も決まった。理事企業からの大口寄付をはじめ、民間からの支援金振り込みも日ごとに増え、タイの正月明けの5月には、待ちに待った日本製大型重機が到着、除去員も50人に増員し、現場はにわかに勢いづいた。日中の暑さに弱い地雷犬は朝6時から地雷原をぎまわる。重機がごう音をたてて潅木かんぼくを切り倒す、砂ほこりが舞う。晴れ間の青空と鬱蒼うっそうとした樹木の緑、赤土の地雷原で黙々と作業する除去員の青い防具の胸にJAHDSのロゴが白く浮かび上がる。

 5月7日、外務省傘下の実行委員会から「日本ASEAN交流年2003記念事業」にも認定され勇気づけられた。初めての、それも特異なNPOスタッフとして参加した直後、地雷原に飛び込み、国連、軍隊、役人、地元NPOなど商社時代には全くなじみのなかった相手との交渉で、暑い盛りにバンコク名物の渋滞道路を走り回ったことが遠い昔のように思う。相手と話はついたが金がつかない、資金枯渇で計画倒れか、JAHDSの事業規模として大きすぎたかなど悩んだ苦労もすっかり忘れ、この事業に取り組んで良かったとの感慨が込み上げてくる。

 地雷の危険から解放された本堂周辺では、われわれの除去作業を横目で見ながら、10トンクレーンを持ち込んで修復作業が再開され、地雷全面撤去を待ちきれないといった様子である。危険地帯を警告する赤い「どくろマーク」が取り外された前庭では、物産展等の催事やピクニック等で多くの地元民が集まるようになり、学童たちの遺跡見学も増えてきた。土産物屋、ウドン屋台などのバラックが瞬く間に軒を連ね、観光掲示板、案内パンフレットなど、地元による観光客誘致の準備は加速されている。

 プロジェクトは順調に進んでおり、年末を待たずに完遂の見込みである。3〜4年後には、ホテル、レストラン、土産物屋などが立ち並び、周辺の様相は一変するに違いない。当初の目的であった地元経済の活性化に自信がついてきた。

 去る9月15日から5日間、アジア初のオタワ条約締約国会議がバンコクで開催された。前夜祭の14日、参加者800人のうち250人が、JAHDSの除去現場を視察した。また、開会式では、NGOによる除去活動の新たな試みとして、われわれのプロジェクトが136ヵ国の代表の前でビデオ紹介され、日本の貢献を世界中にアピールできた。売った買ったで走り回った商社時代の経験も捨てたものではないと、あらためて感じた瞬間であった。

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