マンスリー・レポート No.74 (2007年2月)
活動会員のレポート
  Rafaelaに乾杯!!
  JICAシニアボランティア
アルゼンチン貿易指導
金子かねこ 正登まさと (元 日製産業〔現 日立ハイテクノロジーズ〕)
※ Guillermo Lehmann
ラファエラ市の創建者。ドイツ人の移住者で、輸入ワイン代理店、販売業に従事、1864年にエスペランサ市(ラファエラ市の東約60キロ、人口5万、ドイツ移住地、市制150年)で、醸造所を経営する傍ら、殖民会社を興す。移住地として開拓した土地をイタリア、スイス、ドイツ本国で販売。ラファエラ市もその一つで、現在では、この地域最大の都市となった。

 ブエノスアイレスの北538km、パンパのど真中に、牧畜と大規模農業の中心地であるラファエラ(Rafaela)市がある。人口9万の典型的地方小都市で、2006年10月には市制125周年を迎えた。G. Lehmann(※)により開拓が進められた街に、イタリア北部から移住した12家族により1881年に市制が発足し、その後、ドイツ系スイス人、フランス系、スペイン系が加わり、主として牧畜と農業を主体に発展を続け、今日に至っている。

 伝統産業以外にも、それに関連した国内有数の乳製品、肉加工等食品産業や自動車部品産業が、その存在感を示している。これら産業の輸出は、この数年、著しい伸長を示し、2005年の輸出実績は約224百万ドル、食品関連が全体の64%、自動車部品が32%を占める。仕向地としては、アフリカ向けが全体の33%、米国向け15%、ブラジル向け8%、残りはEUと中南米諸国向けである。

  日本向けには、小規模だが乳製品の輸出実績がある。日本向け輸出に長年取り組んできたこれら乳製品メーカーは、日本人が如何にアルゼンチンのことを知らないか、過去の度重なる経済危機、特に2002年の累積債務問題により、如何に信用失墜に至ったか、日本がEU製品で固定化され、市場参入が如何に困難であるかを認識している。

 同市の標榜するRafaelino(ラファエラ市民)の特質は、“Simple & Friendly”。確かに、飾らず素朴で即友達になれるRafaelinoである。Rafaelaでの生活を始めて以来一年余になるが、街を歩くと、100mに1人は知った顔に出会い、挨拶を交わすことになる。日系家族も、現在、1家族が“真面目な働き者”として存在感を示し、我々にとり生活し易い環境の基盤を作ってくれている。市の記録によると、1928年には8人の日本人が居住していたらしい。2軒のカフェ、1軒の洗濯業、小規模ではあるが野菜農園、養鶏場もあったようだ。

市役所前にて
アサード(焼肉)
市内に5階建て以上の建物は15棟のみ
 昨年6月に、当地の高校生約60人を対象に、90分の特別講義を担当したことがある。学校側からのテーマは“日本の企業文化”で、日本とアルゼンチンの文化比較、以前、ブエノスアイレスに駐在した1968〜76年と現在のアルゼンチンの状況変化から話を進めていくと、Rafaelaの習慣、生活パターンと余りに差異があることから質問攻めにあい、90分が120分に延びたことを思い出す。

 2005年4月に着任後しばらくして、市内有志の定例集会である火曜会に参加するようになった。元々は、少年サッカーチームの父兄たちの親睦を目的とする飲み会で、9年前に発足し今日に至っている。常時参加するメンバーは十数人で、アルゼンチンを代表する食肉メーカーのオーナー、農場経営者、弁護士、建築士、サラリーマンなど多士済々の集まりである。炊事当番が料理を準備するが、男料理の代表格であるアサード等の肉料理が主要メニューとなる。

 小生もいつまでもただ食べるだけの人でいる訳にはいかず、典型的な日本の家庭料理の定番ということで、カレーライスと和風タレの串焼きを振る舞ったことがある。串焼きは好評で、噂を耳にした別の集まりでも提供し喜ばれた。

 また、毎週木曜午後には、メンバーになっているカントリークラブで和気藹々わきあいあいのゴルフコンペが開催される。企業経営者、農場経営者、医者、自営業者等約30人が常連メンバーで、コンペ後には、メンバーの自宅、別荘での会食が開催され、小生にとっては業務上の貴重な情報源の一つになっている。このような集まりに女性が参加したり、顔を見せることはなく、完全にマッチョの世界を楽しんでいると言える。

 地価が安いこともあるが、広大な敷地内にプールを配した家も多い。自宅の他に、郊外に別荘を持つ家族も増えており、いずれも1ヘクタール以上の広大な敷地内にアサードの設備とプールを擁している。娯楽の少ないRafaelinoにとって、週日と週末の生活パターンを変え、気分転換することは重要なことのようだ。

 過去に、ブエノスアイレスを皮切りに、中南米、アジア、米国、欧州の大都会に居住し、それなりに生活をエンジョイしたつもりでいたが、常に職場の関係、日本人社会、自宅付近での限定された社会での生活だった。日本人が少ないという理由もあるが、小生にとって、Rafaelaは、本当の意味で現地の生活にとけ込ませてくれた初めての土地と言える。コミュニケーションに不自由しないという利点もあるが、異邦人を“Simple & Friendly”に受け入れる土壌、心意気を擁するRafaelinoのお陰と感謝している。

 我が愛するRafaelaに乾杯!!

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