マンスリー・レポート No.77 (2007年5月)
活動会員のレポート
  東京国際交流館「日本語広場」講師随想
  鈴木すずき 誠一せいいち(元 日商岩井)
筆者中央

 定年後、軽い気持ちで始めた日本語教師養成科420時間の研修が終了間近の2001年10月末、ABICから現役時代の経験を生かしたボランティア活動への参加案内が来ていた。

 ABICの活動ジャンルの一つに国内での留学生支援があり、日本語指導の分野で少しはお役に立てるのではと考え、修了証書を受けると間もなくABICの会員登録を済ませた。

 2001年末には、ABICが東京国際交流館で留学生に日本語を指導する「日本語広場」の授業参観や前任者からの引き継ぎなどを済ませ、翌2002年1月から毎週土曜日午後4時に始まる日本語初心者コースの講師を務めることとなった。以来、土曜日の授業を3年、その後、火曜日午前の授業を2年務め、本年1月で6年目に入り、今では日本語講師中、最古参になってしまった。

 「日本語広場」は、お台場にある東京国際交流館に居住する留学生やその家族に日本語を教えながら、交流を深める場である。いつでも誰でも自由に参加できる仕組みにしたので、受講生が同時にレッスン1からスタートするわけではなく、また、受講生それぞれの日本語レベルにもかなりの幅があるため、学校のような日々の授業の積み重ねによる一貫教育を進めていくことはできない。

 一通り基礎学習も終わったころに、日本語を全く知らない受講生が参加してきたときなどはまさに進退ここにきわまれりで、出入り自由な「日本語広場」であるかぎり、常に付きまとう厄介な問題の一つである。それでもその都度ピンチを切り抜けてこられたのは、初心者のサポートを引き受け、別メニューでレベルアップをしてくれた代々のコーディネーターの方々に負うところが多い。

 振り返ってみれば、東マレーシア・サバ州にそびえる海抜4,100m、東南アジア随一の高さを誇る霊峰キナバル山山ろくに発見された銅資源を開発するため、州都コタ・キナバルに駐在していた時のことが思い出される。現地日本人子女のために母親達が手弁当で開いた寺子屋式小学校が当時の文部省から正式に日本人補習校として認可され、校長に就任した。待ちに待った日本からの小学校教員が正式に着任したのを見届けた後、任地を離れたが、四半世紀以上も昔のことである。もともと畑違いの分野で今こうして日本語講師を務めていられるのも、どうやら昔々の彼の地にその原点があったのではと思えてならない。

 今日までいつも新鮮な気持ちで講師を続けてこられたのは、世界各国からの若くて優秀な留学生やその家族との新しい出会いに恵まれたおかげであり、おそらく「日本語広場」のいつでも誰でも自由に参加できる仕組み、すなわち出入りが自由であったからではなかろうか。

 これからも「日本語広場」に集う受講生達に対して、日本語学習が将来、日本を離れてからでも必ず役に立つと信じつつ、特に基礎学習にはより重点を置き、限られた貴重な授業時間を有効に活用していくつもりだ。古来まれなるよわいまであとわずかだが、この魅力あふれる「日本語の広場」で今しばらく新しい出会いを楽しみたいと思っている。

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