マンスリー・レポート No.83 (2007年11月)
 

2007ユニバーサル技能国際大会でABIC会員31名が活躍

 2007年11月14日〜21日に沼津市と静岡市で第39回技能五輪国際大会と第7回国際アビリンピック(身体不自由者の技能五輪)が、大会史上初めて同時開催された。ABICから会員31名が静岡県庁およびイベント対応会社経由で応募し、技能五輪は20名、アビリンピックでは11名の方々がそれぞれ競技会場での通訳業務、選手団のアシスタントボランティアとして活躍した。それぞれの競技会場を担当した4名の会員の活動レポートを下記により紹介する。

技能の祭典「2007年技能五輪国際大会」体験記

西山 にしやま 勝昭 かつあき (元 住友商事)

 11月14日から21日まで、静岡県で大会史上初の「第39回技能五輪国際大会」(沼津会場・門池地区)と「第7回国際アビリンピック」(静岡会場・ツインメッセ静岡)が同時開催された。開会式には、名誉総裁の皇太子殿下が臨席され、一部競技会も見学された。
 まず、今大会概要だが、技能五輪(2年に一度)は、46ヵ国・地域から選び抜かれた816人の22歳以下の選手が47職種でその技を競った。一方、アビリンピック(4年に一度)は、障害のある15歳以上の選手378人が参加し、両会場合せ来場者は約29万人となった(主催者発表)。

競技会場にて筆者
 私は、抜き型競技(Mould Making)をサポートした。この競技の参加国は8ヵ国(日本、韓国、インドネシア、タイ、インド、台湾、オーストリア、アイルランド)で、選手は自動車・電化製品等の部品製造に必要なプラスチック用金型製作の技能を1ミクロン(0.001ミリ)の精度で競うもので2課題を与えられ、評価を受ける。昨年度の全日本大会を勝ち抜いて出場する日本選手には金メダルが期待される種目だ。
 国際大会ということで競技に先立ち、エクスパートと呼ばれる参加各国の専門技術指導者による、諸規定の入念な打ち合わせが約1週間続いた。一方で、加工機械・設備全般の準備を受け持つスーパーバイザーが競技を円滑に進めるため、早くも11月1日から会場入りし、不眠不休で動き回っていた。その気の遣いようは大変なもので、本当に頭が下がる毎日であった。私の主な役目はそのスーパーバイザー付きの語学スタッフだ。
 公平性と、規定遵守、課題情報の事前漏洩の防止を図るため、会場内は連日ピリピリとした空気に包まれる。どこに行くのにも、エクスパートを取りまとめるチーフ・エクスパートの許可が必要だ。かかる準備が取り行われた後に初めて選手が「晴れ舞台」に立つことができるのである。
 いよいよ、競技が始まるということで、各競技会場に各国選手団が続々と到着し、会場は若さあふれる選手団の登場で一瞬にして華やいだムードが漂った。ただ、それも束の間だ。この世界大会に照準を合わせ、長年厳しい練習をつみ重ねて、選りすぐられた各国代表選手たち故、競技に入ると表情も一変、ひたむき且つ真剣に競技に取り組むその姿は、圧倒されるものがあり、さすがに世界のトップの選手たちである。観客も固唾をのんで無言(選手に声を掛けてはいけない)の応援、選手達の動きを見守った。
 我が抜き型競技でも、日本の代表選手がプレッシャーを跳ね除け見事優勝、金メダルに輝き世界の頂点に立った。万歳!!

競技会場に到着した選手たち
 今大会は、静岡県の粘り強い招致活動が奏功して、念願の世界大会開催にこぎつけたとのことではあるが、大都市圏での開催でなかったため、会場付近の利便性の問題、ロジスティックス上の不利な点は否めないように感じたのは私だけであったであろうか?まさに静岡県民、静岡・沼津両市民の、郷土色豊かな心暖まるホスピタリティ−がそれら弱点をカバ−して余りある大会と成し得たのではないであろうか。
 ところで、優れたものづくり、技術の伝承が大きな課題となっている現在の日本である。過去の大会では一時期、韓国等アジア勢が躍進日本勢の先行きが懸念されたが、前大会05年のヘルシンキ大会で日本は金メダル5個で34年ぶりにトップに返り咲き、今大会では16種目で金メダルを獲得(いずれも技能五輪)ホスト国としての面目と(ものづくり力)の底力を強く印象づけることができたのは同慶の至り。更に力をつけて、世界をリードし続けてもらいたいものである。

日本代表の安達裕喜選手と筆者
 末筆になったが、今回ABICからは技能五輪及びアビリンピックの語学スタッフとして31人が、現地にはせ参じサポートした。会場が分散、課題競技も多く、行動も制限されていたため、筆者も同僚の活躍する様子をつぶさに見学する訳にもいかず、全容を網羅してレポートすることは不可能だが、皆さんからの後日談を纏めれば、各人がそれぞれの持ち場で語学サポートばかりでなく、国際ビジネス経験・感覚を駆使して柔軟にどんな仕事でも直ぐに対応、協力も惜しまない獅子奮迅の働きぶりは、関係者に高く評価されていたとの声が多く、国際貢献の一助としてABICの新しい足跡を残せたのではないかと思う。

技能五輪イタリア選手団付通訳ボランティアに参加

西澤 にしざわ 俊一 しゅんいち (元 丸紅)

選手村での歓迎会にて
(左から南チロル・イタリアチーム・リーダー、筆者、イタリア語ボランティアの女性、リヒテンシュタインチーム・リーダー)
 ABICの紹介がきっかけで、第39回技能五輪国際大会に8日間ボランティア参加した。私の担当は技能五輪の選手団付き通訳アシスタントで「南チロル、イタリア」チームを受け持った。
 主な活動は、選手団チームリーダーと連絡を取りながら朝夕のバスでの移動時刻・乗降場所の確認・誘導、毎日変わるバス同乗の他国選手団の確認、開会式・交流会などのスケジュール確認、工具の有無の相談、さらには故国へのお土産物の相談などである。

 「南チロル、イタリア」チームは選手団団長、チームリーダーのもと選手18名(うち女性2名)が18職種の競技(全体では47職種)に参加したが、活動開始前後から少し意外な出来事に出くわしたのでそのあたりから記してみよう。
 11月12日朝、競技準備のため会場に向かうバス内で選手団にイタリア語で挨拶したが、受け答えに若干の間があく感じがした。一瞬こちらの言い方が悪いのかと思ったが、チームリーダーがイタリア語で言うには、「我々の日常会話はドイツ語かチロル地方の方言で、イタリア語はその次。南チロルは第一次世界大戦後にオーストリアからイタリアに割譲された地域で、今でもドイツ語を話す人が約7割」とのことである。南チロル主体の選手構成とは聞いてなかったのでまずはびっくりした。

選手村から開会式に向かう選手団と
 その前日11日は成田出迎えの予定であったが、前々日になって出迎えは不要との連絡があった。これも後でわかったことだが、一行は11月8日には沼津に入ったそうで、早く来た理由は時差ボケをなくして実力が発揮できるようにするためとの立派な段取りで、これも接しなれたイタリア人とは一味違っていた。
 12日午後は「一校一ヵ国サポート交流」で沼津市立今沢中学校を訪問し、全校で9クラス、290名の生徒がそれこそ熱烈歓迎してくれた。講堂にはスリッパに履き替えて入ることとなったが、選手数人の足のサイズが極端に大きくスリッパが合わず大騒ぎに。これで選手も生徒も緊張が一気にとれて交歓行事に臨めたのも事実である。選手一人ひとりにインタビューが行われ、「担当職種においてどんな点が難しいか」「毎日どんな練習をしているか」等々の質問が出た後、選手からも質問があり、最後に生徒全員で作ったイタリア国旗の色使いの千羽鶴とバッジが、チームからはチロル地方に関しての雑誌とチームバッジの交換が行われ、もみくちゃ騒ぎの見送りで学校を後にした。
 15日から18日までの競技本番で我がチームはグラフィックデザインと金属屋根葺きで金メダル、広告美術で銀、れんが積み、石工、洋菓子製造で銅、他に優秀賞8っと大健闘した。チームリーダーのもと規律のとれたチームであったことがこの好成績につながったと思う。

沼津市今沢中学校で生徒代表と選手団(中央が選手団長)
 毎日のバスでの行き帰りに選手と色々話をしたが、彼らが語った日本の印象は:
「日本人はやはり大変親切。自分たちのドロミテ地方にも高い山が多いが富士山には感激した。沿道の家々が随分小さい、お墓が家並みの間に点在しているのが印象的で、先祖を敬う気持ちがより伝わりやすいのではと思った」等々。
 技能五輪の次回2009年はカナダのカルガリー、2011年は英国のロンドンにて開催予定とのことである。同じボランティア仲間にはカナダにも英国にもボランティアで出掛けると意気軒昂な人もみられたが、これも私同様、今大会を通じてなにか非常にさわやかで満足な気分になり、ボランティア活動を満喫できたことの表れかと受け止めている。

第7回国際アビリンピックに通訳として参加

競技会場にて筆者
鎌田 かまた 洋一 よういち (元 三井物産)

技能五輪国際大会と共に11月15日から18日に開催された国際アビリンピックに通訳として参加した。アビリンピックは障害者の技能五輪として4年に1度開催されるもので、今年は日本の静岡市が舞台となり、技能競技には23ヵ国・地域から約370名の選手が種々の分野での技術を競った。

 11月13日から15日の3日間はその準備期間として、主催者、審査員と競技の進行、通訳方法等の打ち合わせ、競技現場での競技者の通訳との打ち合わせ等を行い、「障害者」という言葉の英語の表現方法に関する細かい指示もあった。ただ、会場や主催者の都合により打ち合わせ時間がとびとびで空き時間が多く、効率の悪いものであった。テレビではアビリンピック関係のニュースが連日かなりの時間報道され、また駅や町では車椅子の外人や、「Skill 2007」のロゴの入ったオレンジ色のジャンパーを着たボランティアーが目立ち、大会ムードが高まってきた。

インド選手(聴覚障害)のサポーターに制限時間を知らせる筆者(右)
 11月16日、競技の当日。競技場は静岡ツインメッセ内に特設された。私の担当競技「家具製作・基礎」の競技参加者は、日本人3人(いずれも知的障害)、韓国人(知的障害)、中国人(下肢障害)、インド人(聴覚障害)の計6人であった。3人の外国人とは、それぞれが帯同している英語―母国語の通訳に、私が英語で通訳するという形となり、ワンクッション入ることで随分時間がかかる。
 競技は、事前に選手に配布されている図面に従って、また当日支給される材料を使って、蓋のついた木製の箱を製作するもので、使用可能な工具も細かく指定されている。お国柄もあって、日本人はお揃いの工具を作業台に整然と並べていたが、インド人は競技直前に、バッグからあまり見かけない形状のカンナ等を次々と魔法のように取り出していた。中国人のノコギリも今まで見たことのない形のものであった。
 競技時間は9:00〜12:00、13:00〜16:00の計6時間で、午前8時半に審査員主査から競技上の注意が伝えられ、緊張感が全員にみなぎる。競技開始後は全員が黙々とわき目もふらず作業に集中し、通訳は選手から散発的に出る質問に対応するだけである。韓国人選手は強度の知的障害者で、競技場のすぐ横に陣取る韓国人コーチから始終大声(日本人には怒声に聞こえる)で指示が出ており、パニックに陥るのではないかと心配した程であった。
 韓国人選手だけは制限時間内に完成できず、しかしどうしても完成したいと頑張るので、失格にした上でコーチや審査員までが作業を手伝って曲りなりにも作品は出来上がった。その作品が審査台に置かれた時には、競技場にいる全員から拍手が起こるという感動的なシーンもあった。
 競技終了後の審査段階での通訳には相当時間がかかると聞かされていた。しかし審査員の一人であるガーナ人が来日不能となり、日本人審査員2人だけで当然通訳は不要となり、私は思ったより早く仕事から解放された。
 審査結果は翌日発表されるが、審査員に予想を聞いてみたところ、エースを揃えてきた日本が金、銀、銅を独占すること間違いなしとのことであった(実際にその通りとなった)。
通常の通訳と異なり、障害を持つ若者との触れ合い、思わぬ新鮮な体験の機会を頂いたことに感謝する。

アビリンピックでの活動を終えての感想・体験記 ―選手団との感動的な心の触れ合い

須賀 すが 直比古 なおひこ (元 ニッセイ同和損保)

シンガポール選手団のメンバーと筆者(右から二人目)
第7回国際アビリンピック国際会議の会場にて(ツインメッセ静岡)
 ジム、アルビン、フローレンス、ジュディ、エーロン、イェオ、ユーゲン、コー、パトリック等々、選手、役員、介護者の27名と再会を確約して、固い握手、ハグと涙のお別れの時、また同時に新たな友情関係の確かな始まりの瞬間でもあった。
 それは、世界61ヵ国・地域の代表選手が、もの作りやサービスの技を競う「2007年ユニバーサル技能五輪国際大会」と「国際アビリンピック」が静岡県において大会史上初めて同時開催され、ABICよりの紹介で11月13日から18日まで、アビリンピックにおいてシンガポール選手団付通訳のボランティアとして活動した。

 シンガポール選手団とは、朝7時半から夜8時半ごろまで行動を伴にして、選手団の一員となり切り、選手団からの様々な要望に応えるよう努めた。求められたことに対する成果が問われ、“この人は出来るか”、“頼りになるか”が、選手団全員により評価される。この期待に応えて成果を示した時、信頼され、いろいろな相談やアドバイスを求めてきたし、一団となって行動できた。また、選手団の一人一人と会話するように努めたことも団の結束にとって、大変効果があったと思う。

第7回国際アビリンピック国際会議(ツインメッセ静岡)
 日本側の組織が日本組織委員会、静岡県とその他ボランティア団体という寄せ集めのため、組織として十分にはマネジメントされておらず、シンガポール選手団の要望を通すため、誰がキーマンかを早く的確に掴むことが重要であった。問題の解決は、ベストを目指し、悪くてもグッドではなく、ベターを獲得するように心掛けた。
 私は、今回初めて本格的なボランティア活動に携わったが、この体験は一生涯忘れることのできないよい貴重な思い出として心に残ることだろう。

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