マンスリー・レポート No.96 (2008年12月)
活動会員のレポート
  中東に駐在した人たちの想い ─日本人の対中東・イスラム観─
    ABIC大学講座等グループコーディネーター、一橋大学大学院経済学研究科研究補助員  
     谷川 たにがわ 達夫 たつお (元 住友商事)  

1.はじめに 調査の概要

 商社パーソンには世界の各地域に駐在した経験を持っている人が多い。その中で中東駐在員の経験は他の地域に駐在した人の経験とどう違うのか、またその経験からどのような意識を持ちそれがどう変化するのだろうか、という関心を持ち続けてきた。
 私は、中東で1979年のイラン革命から1980年に勃発したイラン・イラク戦争にテヘランで遭遇した。その後1982年から86年までイスラムを国是とするサウジアラビアで4年間過ごした。その後、カリブ海のプエルトリコや南米コロンビアに駐在していた時は、絶えず中東の経験と中南米の経験を無意識のうちに比較してきたと思う。また、日本にいる時は勿論であるが、各国の駐在地や出張先でいろいろな人から中東の経験について聞かれ、答えてきた。サウジアラビアから帰国してからは、1997年に出張でドバイに数日滞在したことはあったが、今年イランを27年ぶりに再訪するまで※1中東との直接的な接点はなかった。

※1 ABICインフォメーションレター No.21(2008年3月発行)にて報告している。  

 2006年に文部科学省「世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業」の一つである中東地域研究プロジェクトが、ABICの協力を得て意識調査を行うことになり、立ち上がりから参画した。調査の目的は日本と中東の間の相互理解の促進であり、その一環として日本人の対中東・イスラム観をアンケート調査で明らかにすることであった。 内心ずっと温めてきた問題関心に改めて本格的に取り組めるチャンスを得た。そして調査の過程で日本人駐在員の中東に対する想いの50年近い変遷に触れつつ、今まで感じてきたことを再確認することができた。
 この意識調査の概要は、ABICのインフォメーションレター No.19(2007年7月)で紹介しているが、ABICの会員以外に、現在、中東に駐在・居住する人たちの調査を各国の日本人会の協力を得て行った。また今年は中東以外のイスラム教国(インドネシア、マレーシア、パキスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、ナイジェリア)の駐在経験者および現在居住する人にも調査を行った。結果は順次報告書で公表していく予定である。

 なお、当プロジェクトのホームページで、調査結果の基礎データおよび単純集計結果を公開しているので参照されたい。http://www.econ.hit-u.ac.jp/~areastd/research.htm
本調査の更に詳しい分析は、11月にプロジェクトチームが発行する筆者が執筆したリサーチレポートを参照されたい。

 ここで調査の企画段階での印象的なやり取りをご紹介したい。調査の概要を決めるための会議が、研究者の間で何回か実施された。そこで議論となったのは、質問の数も多く10頁になる調査票に、対象者のご協力が得られるかということであった。社会調査の常識から言えば長すぎてNOである。ただ私は、中東駐在経験者はその経験を誰かに話したい、あるいは社会に還元したいという気持ちがあると思い、その点は心配しなかった。結果的に長すぎるというコメントを戴くことなく、皆さまのご協力を得られた。他の地域向けにこの種の調査を行って同じようなご協力が得られるかは疑問であるが。

 

2.年代別の典型的な駐在員の意識

 意識調査の結果を踏まえ、以下の三つの年代に分けて中東に駐在した日本人ビジネスマン像を描いてみよう。従ってこの3氏は筆者が合成して作成した架空の存在で、中東全域の状況を代表しているものではない。

1970年代末までに赴任したA氏
(赴任前)中近東※2に駐在の辞令をもらった。よく現地の事情も判らず、また南回り路線※3で深夜に3─4ヶ所寄港しながら行く遠い地域への赴任だと不安になる。単身赴任するといつ家族と会えるかわからないし、現地に娯楽も少なそうだから、できれば連れて行きたい。日本食はほとんどないと聞いているので、粉末の豆腐や保存のできるものは大量に持って行こう。娯楽はカセットテープで駐在員が集まってやるカラオケが中心と聞いているので、最新の流っている演歌のテープを持っていこう。
(現地駐在中)現地事情をもっと知りたいので、できるだけ現地の人と付き合ったり、国内を旅行してみよう。アラビア語(あるいはペルシャ語)も話せるように努力しよう。こちらに来て、新しい中東ビジネスの基礎や現地の人との人脈作りができて、仕事のやりがいもあった。
(帰国後)駐在中は現地の人と個人的付き合いもして、家族ともども楽しい思い出も作れ、中近東の印象が良くなった。

※2 当時は中近東という呼び名が一般的であった。
※3 PAN AM(パンアメリカン航空)、ルフトハンザ、アリタリア、 日本航空などが香港、バンコック、
  ボンベイ、カラチ、アブダビ、 テヘラン、カイロなどを経由してヨーロッパまで飛んでいた。

1980年代に赴任したB氏
(赴任前)中近東に辞令をもらったが、イラン革命やその後のイラン・イラク戦争が日本で大きく報道されたので、親戚、知人は私が赴任することを非常に心配している。いつ紛争や戦争が起こるか判らないので、できれば身軽な単身で行きたい。日本の自宅は緊急避難で家族を帰さなければいけないかもしれないので、ローンを払い続けるのは苦しいが人に貸さずに空き家にしておこう。中東ビジネスは大きく伸びているので実績を上げてきたい。
(現地駐在中)日本の報道から想像していたより社会も安定しており、イスラムにも興味がもてる。中近東の生活は制約もありまた治安の心配もあったが、年1─2回家族でヨーロッパに休暇でいけるのが最大の楽しみだ。ゴルフが出来ないので日本人会で行う会社 対抗のテニス大会や、気のあった家族と砂漠への旅行などが楽しい。
(帰国後)現地での仲間と家族同士の付き合いが続いている。いつかもう一度個人的に旅行で行ってみたい。

1990年代以降に赴任したC氏
(赴任前)辞令をもらったが、世界の他の地域に駐在するのと、特に気分的に大きな違いはない。家族を連れて行こうと思うが、子供の受験競争が激しく、一緒に来るかわからない。日本食もだんだん手に入りやすくなったと聞いているし、現地での医療や健康についても特に心配はない。関空からドバイまで直行便※4で飛び、そこで乗り換えて駐在国に向かうつもりだ。多くの友人や親戚が中東に観光旅行に行きたいと言っている。
(現地駐在中)先輩からは余り日本から来客がなかったと聞いていたが、中東ビジネスが大きく伸びているので千客万来だ。当地では高層マンション生活で、いろいろなサービスも充実してきている。職場で一緒に働くのは英語を話す外国籍の人が多く、現地語ができるに越したことはないが特に必要なさそうだ。現地の取引先の会社の経営陣も、世代交代で若い人や欧米で教育受け英語が話せる人が増えている。日本語の新聞も遅れなく読め、テレビも衛星放送で各国の番組が見られる。インターネットや国際電話も接続に問題なく、日本の友人や家族とも常に楽に連絡できる。
(帰国後)日本のテレビで湾岸諸国の特集番組も増え、日本での中東のプレゼンスは確実に上がっていることをひしひしと感じる。ただ内戦やテロの話を聞くと中東のイメージも悪化しがちである。グローバリゼーションの高まりの中で、中東生活も良い経験であったと思う。

※4 2002年にドバイのエミレーツ航空がJALとのコードシェア便で、関西空港に直行便を開設した。

 

3.現代中東の大きな歴史変化の転換点

 なぜ赴任時期によってこのような意識の差が生れたのか、またその意識はどのように変わっていったのかを明らかにすることもこの調査の大きな目的であった。調査結果の分析を、1979年のイラン革命までの時期(以下70年代末までと表記)、その後の湾岸戦争1991年までの時期(80年代)、そして現在まで(90年代以降)の三つに時期を区分して行った。
 これは中東の現代史の中で、1979年のイラン革命と1991年の湾岸戦争が非常に大きなインパクトをこの地域の政治・経済に与え、中東に駐在する日本人駐在員の生活や意識にも大きな影響を与えたためである。調査で行った質問の分析結果から明らかにその影響が見てとられ、この時期区分でクロス集計して分析したことの妥当性が実証されたと言える。

 

4.調査から明らかになった現地生活の実態や意識の特徴

 この調査では、現地の日常生活と職場での経験について調査している。また、現地社会とイスラムに対する印象を赴任前・赴任後・帰国後に分けて詳しく聞いている。ここで調査の全体を見渡し、駐在時期あるいは期間別で変化が見られるいくつかの特徴を紹介したい。

 まず家族の帯同であるが、80年代は中東の治安状態の問題から単身赴任が増えた時期である。また90年代以降は子供・配偶者など家族の都合が単身赴任の理由の三分の一を占めて、配偶者と子供の同伴が減少してきている。 これは治安状態と言うより、日本での教育問題がかなり影響していると思われる。住居の形態では、一戸建てが90年代以降減り、80年代以降はコンパウンドと呼ばれる集合住宅および90年代以降はホテル住まいが増えている。

 日本を離れる前に現地での日常生活に不安や心配があったか聞いているが、大いにあったという人は80年代になって2倍に増えたが、90年代以降はいない。不安の内容では健康 医療面が一番多いが、年代が近くなるにつれ、現地の医療体制が整ってきているので減少している。治安の不安は、80年代に赴任した人が一番多く感じていた。

 現地語(アラビア語、ペルシャ語、トルコ語など)の使用頻度と現地の人との交流について聞いているが、先に述べた住居の形態が一戸建てからアパート、フラットやコンパウンド※5、ホテルなどが増えるに従って、現地語の使用頻度が減ってきている。また、中東特に湾岸の産油国では、現地国以外の外国人労働者(expatriateと呼ばれる)が多く、現地経営陣の世代交代も進み、英語が話せる人が増えその使用頻度がますます高くなってきている。もともと現地の人との交流は中東では多くなかったが、日常生活では70年代末までは非常に頻繁にあったという回答があった。しかし、80年代には減少し、90年代以降は持ち直してきている。

※5 外部を塀で囲って主に外国人家族だけが居住する集合住宅。
  ゲーテッド・コミュニティ(タウン)とも呼ばれる。

 現地の生活の楽しさは、厳しい生活環境下でまた社会的な制約の多いコミュニティで、親も子供たちも精一杯楽しみを見つけ、生活は楽しいものであったと回答している人が70年代末までは70%を超えている。80年代は治安の問題からか低下している。世界のほかの地域と比較してみたいところである。

 仕事のやりがいについては、全ての年代を通して80%近くあったことは印象的である。自由記述からは、担当地域の売上高や利益などの実績に密接に関係していることが読み取れた。中東とのビジネスの歴史を見てみると、70-80年代は、中東は第一次の石油ショック以降の収入増により、社会インフラ建設ブームの状態で、商品もいわゆる輸出全盛時代であった。従って当時の関係者は大きな契約を受注する機会も多く、全社的な業績に対する貢献意識も強く、売上高や利益面で他地域に比べ大きな実績を上げていたので、仕事のやりがいを大いに感じていた時代と言える。

 ビジネスのやり易さでは、80年代まではあまり変わらないが、90年代以降グローバリゼーションの進展で、また現地経営者の世代交代などで、中東特有のビジネス習慣も西欧化され、やり易くなってきていると意識されつつある。

 現地社会やイスラムについての印象は、赴任前・赴任後・帰国後で意識が変化している人が多く興味深い。赴任前の現地の印象は、徐々に悪くなっている。これに対し赴任後、現地に住んでみての現地社会に対する印象は、いずれの年代でも50%以上の人が良くなったと答え、悪くなった人に比べて圧倒的に多い。イスラムに対する印象は、赴任前はどちらとも言えないという人がどの年代にも約70%いる。赴任後は良くなったという人が全体で約35%で、悪くなったという人は5%以下である。赴任前の知識や情報は正確でなく、赴任して初めて現地社会やイスラムの現実を知り意識が変わったと述べている人が多い。このことから現地社会で生活し、イスラムの知識を増やし交流することは、確実に好意度を上げていると言える。

 この調査で中東の日本人駐在員の生活の特徴を少しでも明らかにしようとしてきた。また今後、日本と中東との意識のギャップをどう埋めていったらよいかについての示唆を得ることができたと思われる。このプロジェクトは引き続き平成22年度まで研究活動を続けるので、結果を順次公表していく予定である。

Copyright (C) 2003-, 国際社会貢献センター (ABIC)