メネム元大統領と筆者(右)
アルゼンチン La Rioja(ラ・リオハ)州での、JICA シニアボランテイアとしての2年間の活動を終了し、2010年3月末に帰国した。過去に、中南米・アジア・米国・欧州に約30年居住したが、アルゼンチンは、小生にとり初めての海外(1968~1976年の8年間)で、結婚し、2人の子供が生まれ、商売の基本を叩き込まれた特別の思い入れのある国である。
La Rioja州
今回は、ブエノスアイレス市の北西約1,200kmに位置する州都La Rioja市にある国立La Rioja大学経済学部の客員教授としての活動であった。人口30数万のLa Rioja州は、年間降雨量200mmの乾燥地帯のため、小規模なオリーブ油とワイン産業が存在するのみの極貧州で、州の約半数を占めるLa Rioja市人口の約60%が公務員である。気候が農業に適さないことが理由と思われるが、日系人は皆無。盛夏の1~2月には、50℃を超す日も何度か経験した。先住民系とアラブ系が多く居住することから、カトリック率は全土93%に対し55%。
La Rioja市には、“過ぎたるモノが二つ存在する”と言われている。国立La Rioja大学と18ホールのゴルフコースで、小生が、2年間の大半を過ごした場所でもある。いずれも、州知事を勤めた後、中央政界に進出、1989~1999年の10年間にわたり大統領だったDr.Carlos Saul Menem(メネム)と密接に関連している。
国立La Rioja大学
生産管理学会にて
2010年3月17日開講の最終講義
元大統領在任中の1993年に州立から国立に昇格したLa Rioja大学は、約26,000人が在籍する地方有数のマンモス校で、州内5ヶ所に分校を持ち、付属高校・オリーブ畑・オリーブ油工場・総合病院・考古学博物館・新技術研究所やFMラジオ局を擁している。5学部、約100課程を擁する大学・大学院には、約1,450人の教職員が在籍している。
大学では、当初、マーケテイングや貿易の基本の講義を主体に担当したが、「1945年に第二次世界大戦が終了、僅か25年後の1970年に、GDPが米国に次ぎ世界第2位になり、欧米諸国から日本の奇跡と呼ばれたが、その要因はなにか?」という学生からの質問に対し、その要因の幾つかを挙げる過程で「日本の企業文化としてのKAIZENも重要な要因」と解説したことが契機となり、徐々にKAIZEN主体の講義に移行していった。アルゼンチン訛りの上手過ぎないスペイン語で、日本の歴史や文化、日亜間の友好な歴史等にも触れながら講義することが好評で、大学生を対象にした講義も、大学院生・付属高校生・職員・分校・隣接する他州の国立大学や大学で開催される各種学会を含め、その対象が拡がっていった。
特に、約250人の職員を対象にした講義で、“Mantengamos Limpia La Universidad(全学美化)”キャンペーンを提案、参加者多数の賛同を得た。各職場単位で、小グループを編成、全学美化のための具体策を討議してもらい、再度、打合せの機会を持つことにしたが、2008年10月中旬に訪れた三連休に、彼らが特別出勤し、各人の職場とその周辺の整理整頓を自発的に実施したのにはビックリさせられた。学長の全面的協力を得、屋内通路に大型のゴミ箱を配置し、屋内清掃を外部専門業者に委託する等の具体策実施により、徐々に効果が上がっていった。
その後、予算確保面で紆余曲折があったが、約300haのキャンパス全域に100個の灰皿を配置したり、講義室を含む屋内各所に300枚のキャンペーン認知度を高めるためのアクリル製大型ポスターを掲示したりした。時間を要したものの、整理整頓が習慣化され、以前とは見違えるほどクリーンなキャンパスになりつつある。まだまだ不十分ではあるが、離任に当たり、キャンペーンのフォローは、教授・職員・在学生の代表者に託すことにした。2010年3月には、大学から名誉教授の称号を頂いた。