活動会員のレポート

タイの学生に日本企業文化を伝える

谷口 たにぐち 武彦 たけひこ (元 日産自動車)


講義する筆者

 ここ数年、タイの日系企業においては優秀な学生を欧米、また新興の韓国、中国の企業に持っていかれるという問題に悩まされていた。タイを日本製造業の重要海外拠点として考えていた日本政府としてはこの状況に危機感を抱き、海外貿易開発協会(JODC)を委託先としてタイの大学生に日本や日本企業文化への関心、興味を持ってもらうための「日本企業文化講座」をタイの大学で開設するというプロジェクトを計画したが、この構想をABIC経由で聞いたのが始まりだった。
 私自身は1989年来、二度にわたるタイ駐在を通じてタイのビジネスだけでなく文化、歴史、社会など多くのことを学び、自分のキャリアはタイ国やタイ人に支えられてきたという思いが強かった。それだけに2009年、第一線を退いた後は何かタイのためにできることはないかと日々模索していた。

 タイスワナプール飛行場に降り立ったのは2010年6月初め、35度の暑さと共にむっとする湿気が容赦なく襲ってきたが、これから始まるチャレンジングな仕事への期待はそのような苦痛を吹き飛ばした。バンコクに到着した6月は、まだ赤旗グループ(タクシン派)による市中心部の爆破また占拠から日が経っていない頃であり、しかもアパートの所在地がランスワン通りというまさにそのグループが占拠していた地域ということで、緊張感は高いものがあった。
 しかし、過去のクーデターが示している通り、政治的紛争と市民生活が切り離されているのがタイの文化であり、今回の事件も終わってしまえば何事もなかったように市民は毎日を過ごしているといった様であった。
 「日本企業文化講座」はタイの6つの大学、すなわち、バンコクのキングモンクット大学、カセサート大学、地方のチェンマイ大学、コンケーン大学、スラナリ大学、ウボンラチャタニ大学を3人の講師で分担するというもので、私はキングモンクットとウボンラチャタニ大学での講義を担当した。
 教材作成においては、プロジェクトの趣旨に沿っていれば原則講師の自由裁量に任されていたので、私の場合は経験上、モノづくり文化を理解してもらうことをその柱としながらも、それにとどまらずタイと日本の歴史的な接点また文化の違い、さらになぜ日本企業がタイを製造拠点化してきたかなどを盛り込んだ内容とした。この講座の目的は多くの優秀な学生の日系企業への就職促進であるが、私自身は、ともかく日本ファンを一人でも増やしたい、そして将来日本とタイの友好の懸け橋となれる人材育成の一助になることを考えながら、2010年9月末まで講義を行った。
 タイにおける一週間の生活は規則正しく、月曜・火曜はキングモンクット大学、水曜・木曜は一泊でウボンラチャタニ大学へ出かけ講義を行い、週末は翌週の準備というものであった。
 キングモンクット大学における受講生は80名、一方、ウボンラチャタニ大学では実に214名の学生が熱心に講義に出席してくれた。ビジネスマン上がりの私にとって大学で講義するのは初めての経験であり、当初はいささかの不安もあったが、毎回元気よく目を輝かせ熱心に受講してくれている学生を見ていると不安は吹っ飛び、むしろ講師の方が元気づけられるといった状況であった。彼らの感想も「就職前に日本企業の話が聞け、また日系企業でのインターンシップにも参加でき、日本企業のことがよくわかった。ぜひ日本企業に就職してみたい」という大変前向きなものであった。
 タイの学生は本当に真面目で日本企業文化講座という異文化への取り組みに熱心であり、それだけに講師としても大変やりがいのある任務であった。また一般的にタイ人はシャイで人前ではなかなかうまく話ができないと言われているが、私の印象では日本の学生よりもきちんと話ができると感じた。

 2010年10月末に任務を終え帰国してからも、教え子たちが本当に日本を好きになってくれたか、またどれくらいの学生が日本企業に就職してくれるか気になる毎日である。
 最後にこのような機会を与えてくれたJODC、またいろいろアドバイスをくださったABICの方々へ深く感謝の意を表するものである。


ウボンラチャタニ大学の学生たちと記念撮影