お台場の東京国際交流館(以下「交流館」)はABICの留学生支援活動の拠点だが、その上部組織、独立行政法人日本学生支援機構(以下「機構」)は2010年、行政刷新会議の事業仕訳をうけて、留学生への宿舎提供業務からの撤退と全国13ヵ所に保有する留学生用“国際交流館”の2012年3月末廃館を発表、一部のメディアはエリート留学生寮の事業仕訳と揶揄した。
交流館はABIC誕生まもない2001年に、グローバルな知的交流の整備という政府の「国際交流大学村」構想のもとに開設された。大学院生以上の留学生・日本人学生や研究者およびその家族受け入れのための800を超える居室に加えて、共用の自習室、ラウンジ、体育室、トレーニングルーム、美術室、音楽室、茶室、調理実習室、食事室、プレイルーム、レクリエーション室、日本語研修室、多目的室などを備え、隣接するプラザ平成では同時通訳ブース付き国際会議場、メディアホール、研修宿泊室などがある、国内随一の国際交流施設である。高度人材の獲得競争が世界で激化する中、世界中の優秀な大学院生や研究者に、質の高い生活や交流の場を提供するべく、国策の一環として設立された。
ABICは日本国際教育協会(現 日本学生支援機構)からの協力要請をうけて、設立当初から支援活動を始め、現在、週に18クラスの「日本語広場」と、週末の茶道、華道、書道、囲碁、将棋、空手クラスの「日本文化教室」の開催のほか、ABIC会員や支援企業の提供品によるバザーの定期開催など、さまざまな支援や交流活動を行っている。また、2006年からABIC会員や地域住民の協力のもとにボランティアチームを組成して、妊娠・出産・育児・健康相談・検診・通院・治療などの家族の健康管理や通園・通学手続きなどの生活支援にも注力しており、2012年3月までの1年間には101の活動案件に128名のボランティアが参加、交流館のABICプログラムに参加した留学生は年間3,000名を超えた。
ABICは留学生支援だけでなく、小中高校での国際理解教育や在日外国人子女の日本語教育支援、生活者としての外国人の日本語教育のための教師養成講座、大学教授・講師・職員や留学生施設職員等への人材紹介など、外国人支援事業を幅広く行ってきた。理事長や事務局長は文科省委嘱の委員会活動などを通じて、産学共同での国際人養成施策の強化や地域との連携による留学生交流拠点作りなど、積極的に留学生支援に関わっている。
交流館入居者のほとんどはアジア・中東・旧ソ連圏諸国からの国費留学生で、東京大学や政策研究大学院大学など国内の一流大学や研究所に所属しており、帰国後は母国の内閣府、議会、財務省、外務省、内務省、中央銀行、公正取引委員会や国税庁などで、国を支える重要な役割をになう知日派エリートで、日本の一流企業に就職する者も多い。
交流館の廃館決定に対して、現居住者たちだけでなく世界中に5−6,000名におよぶネットワークを持つ交流館卒業生が、署名運動やさまざまな形で立ち上がり交流館の存続を働きかけた。そうした活動が奏功してか、廃館直前の2012年1月になって、4月以降の猶予期間として2年間の継続が認められることになった。しかし運営の現場の混乱は今も尾をひいており、1年後に迫った猶予期間切れの先行きは不明である。
日本は在日留学生が1万人であった1983年に留学生10万人計画を発表、20年後の2003年にやっと10万人を超え、2010年には14万人に達したが、その後陰りを見せ13万人台に落ち込んだ。国内学生に対する留学生比率は、欧米の留学生受け入れ先進国の半分にも至っていない。2008年には留学生30万人計画を発表し政府の成長戦略に盛り込まれているが、そこに達するための道筋はまだはっきりとは見えてこない。
優秀な留学生の獲得や知日派留学生の養成は、企業の人材確保の後押しというより、国の競争力強化のための国家戦略に他ならない。留学生にとってより魅力ある国になるための日本の課題は多いが、住居の問題は、奨学金制度や大学の質の問題などに劣らず重要だ。国際交流館廃館をめぐる混乱は国全体から見れば些末なことかもしれないが、僅かな数とはいえ、影響を受けた留学生の心には一貫性を欠く日本の政策の苦い思い出として染みついている。
(留学生支援グループ)