活動会員のレポート

キラキラな国のきらきら☆滞在記

藤岡 ふじおか 益恵 ますえ (元 財団法人大阪城ホール)


中学生クラスの生徒と。それぞれの名前をお習字で
書いてもらって「ハイ、チーズ!」

 「人生とは、何かを計画しているとき起きてしまう別の出来事のこと」と言いますが…。
 そう、それは定年退職して数年後、大きく生活を変えようと計画していた2011年2月某日。大阪のカフェで、技能ボランティア海外派遣協会(NISVA)の方から「インドネシアへ行って貰います」と言われた。「えっ、この私がインドネシアへボランティアに!?」
 そして2011年11月、シニアボランティアとしてインドネシアの首都ジャカルタに赴任した。夜到着、車で向かう宿舎までの一般道路は沢山の自動車、バイクで、道路端は人、人、人、そしてさまざまなお店や屋台で一杯だ。パワーに満ち溢れている。「やって来ました!」そして翌朝4時過ぎ、大音響に直撃され飛び起きた。コーランだった。顔を洗いに歩くと、何かを踏んだ。むかでだ。そして壁にも大きなやもりがぺたっと。「ひぇー!」驚き、おののいた。こんなびっくり歓迎を受け、私のインドネシア生活がスタートした。
 受け入れ機関はYMG(松下幸之助氏とM.ゴーベル氏がインドネシア国民の幸福と知的生活の向上発展に寄与するため設立した財団)、任期は1年。活動は、近隣の子供への新規日本語指導プロジェクトに携わることで、私は初代の、たった一人の新任教師だ。派遣決定時より「頑張らねば」と思ってきたのが、なお一層力が入った。けれど最初に受け入れ先とのコミュニケーション不足からくるトラブル発生!「話が違うやん!」という事態に。あれこれ悩んだが、結局私の当初の認識どおりとなり、ほっとした。その折に出会ったのは、「慌てず、焦らず、当てにせず、しかして、飽きずに、あきらめず」という言葉で、しっくりときた。
 そう、インドネシアは“キラキラ”(アバウト)の国、きっちり正確にという日本的感覚でいると、こちらが疲れる。結構大事なことまでもが大雑把で、よくこれで事務が、会社が廻っているな!?と思うこともしばしばである。(でもいけているのが不思議!)人々はといえば、一様に穏やかでとても親日的だ。任期中、日本人というだけで親切にされたことはあっても、嫌な目には会わなかった。そしてほとんどがイスラム教信者である。赴任して間もない頃、自作のカレーをランチに持参し勧めたところ、「お肉は?」と聞かれ、「豚」と答えると、全員にお断りを受けた。お酒も口にしない。でも概して健啖家だ。
 日本ブランドは尊ばれており、特に路上の自動車、バイクはほとんど日本製品だ。さらに電車は日本のお古で、キラキラな国では「新宿行」のプレートを付けたまま走っている。私は、どこか懐かしさを感じさせる現地にごく自然に溶け込んでいった。
 活動の方は、生徒全員初心者のため、教科書を作成後、指導を開始した。クイズ、ゲーム、歌など遊びを入れ学ぶ。教室では「バグース」(素晴らしい)「グッド」「あかんあかん」(私は大阪育ちである)などの言語が飛び交う。9才の男の子はゲームが得意でひらがなを覚えた。
 最終的に全員が教科書1冊目を終了し、テストも合格してくれた。「バンザ−イ!」ちなみに私が作成した教科書は3冊で、タイトルは『かけはし』である。将来子ども達に日イの架け橋になってほしいと願い名付けた。また、教室外でも日本語に興味のある人々、宿舎近くでよく会う若者達や食堂のおばさんと、日本語の挨拶を教える「課外授業」で繋がった。
 辛い食べ物に辟易し、突然の停電・断水に「何すんねん!」と怒ったことも懐かしい。かけがえのない、おびただしい思い出の数々に、沢山の素晴らしい人々との巡り会いに感謝!
 「思いの力」そして「感謝の心」の大切さを実感した貴重な一年間だった。