活動会員のレポート

琥珀色に輝くバルトの国々を旅して

後藤 ごとう 礼子 れいこ (元 サンリオ)


ビリニュスの鐘楼と大聖堂

ゲディミナス塔の展望台前にて

シャウレイの十字架の丘

 旅行好きの母と初めてリトアニア・ラトビア・エストニアを訪れた。バルト海沿岸に位置する小さな国々であるが、たどった歴史は深い。旧ソ連に併合され、激動の時代を経て、再び三国はわずか20余年前に独立した。大国ソ連崩壊のきっかけとなったといわれている。西欧に置き去りにされてしまったその歴史により、それぞれの首都の旧市街には、古き良き時代の趣が残っていて、世界遺産に指定されている。
 リトアニアの首都ビリニュス(人口約54万人)は、14世紀から16世紀に繁栄を極め18世紀以降も北欧とロシアを結ぶ交易の中継地として栄えた。鋭い塔の代わりにカトリック特有の柔和な外観を持つバロック建築の教会がとても多い。
 ラトビアの首都リガ(人口約70万人)は、ハンザ同盟の一員として、海運の中継を担う商人の町である。13-15世紀に商人組合ギルドが実権を握ったため商人組合の建物が多く残されている。
 エストニアの首都タリン(人口約42万人)は、13世紀にデンマーク人によって建設されたのちハンザ同盟に加わり貿易都市として栄えた歴史のある街である。
 バルト三国は、2004年5月に三国そろってEUに加盟し、すでにエストニアは2011年1月1日に国内流通通貨をユーロへ移行。ラトビアも2014年1月1日にユーロへ移行し、リトアニアは2015年の移行を目標に現在準備されている。訪れた際は三国の通貨が異なったため、買い物に少し不便を感じたが、今後は解消されることだろう。
 2008年3月より、バルト三国もシェンゲン協定実施国となった。これによって、協定実施国内の移動については、国境での入国審査が廃止され、容易に移動することができた。
 バルト三国は隣国でありながら、各国それぞれ独自の言語が話されている。それぞれ100万台前半の母語人口しかいない少数派の言語だ。その国の人々が言葉を大切にしていることは、私が一言、その国の言葉で「ありがとう」というだけで喜んでもらえたことからもわかる。
 リトアニア人のガイドによれば、バルト三国は産業が少ないため失業率が高く、リトアニア、ラトビアは11%、エストニアは8%くらいだという。若い人はさらに高く20%近いそうだ。大卒初任給は1ヵ月、リトアニアでは日本円で8万円、ラトビアでは10万円、エストニアで13万円くらいらしい。現にエストニアの旧市街を歩いていると、旅行客だとわかっていたのか、「お腹が空いている。金をくれ!」と若い男性が近づいてきた。一端にすぎないが少し現状が理解できた。物価はここ数年かなり高くなってきているらしいが、北欧諸国に比べ、まだまだ安い買い物ができるので、わざわざ食料品や日用品を北欧から船で買いに来るそうだ。
 バルト三国で見てきた光景は中世の街並みが多かったが、一方でここ最近、インフラの工事が盛んに行われている新市街地も多数みられた。数年の間に、新しい道路などが敷かれ、街並みも変わっていくことだろう。
 2020年の五輪とパラリンピックの開催が決まり、これから競技施設の整備などが行われる東京や日本が、6年後どうなっていくのだろうかという思いが、バルトの国々に重なってみえた。お互いの国が期待の持てる、明るい未来へとつながっていてほしいと心から願ってやまない。