昼休みに生徒たちと(左端が筆者)
長く銀行マン生活を送った後で、タイの高校の教壇に立とうなどとは、考えてもみなかった。しかしわずか半年ほどではあったが、高校生たちにこれほどまでに「先生! 先生!」と声を掛けられるとは思わなかったし、生徒や先生方との日々の触れ合いは、国を超えた熱いものの連続であった。
日本語パートナーズとは、2020年までに3,000人の日本人をアジア各国に送り込み、高校などでの日本語教育をサポートするとともに、日本文化に親しんでもらおうという、日本政府の方針に基づくものである。
私はABICの案内でこの派遣事業を知り、タイ第1期の29人の1人として、バンコク近郊の高校に赴任した。代わって2015年度は第2期の40人が、期間1年の予定ですでにタイの全土に派遣されている。派遣先も、フィリピン、インドネシアなど6ヵ国に及び、さらに対象国は増える予定にある。タイ第1期の仲間は、女性が多数を占めたが、現役の大学生からシニア世代にまで及んでいて、海外勤務経験を持つ元ビジネスマンも、私を含めて3人がいた。
私が赴任した高校では、日本語を週に8時間学ぶ語学専攻の生徒が、3学年で計100人ほどいて、彼らが主に私の生徒であった。校内では、先生と生徒たちとの間には強い信頼関係があり、それでいてフランクでリラックスした関係であった。生徒たちも互いに兄弟のような優しさがあり、こういう教育現場はタイでは普通のことのようではあるが、日本から来た私には大きな驚きでもあった。
従って生徒たちは放課後には職員室の私のもとにもやって来るし、週末の小旅行には誘われるし、何より授業では親しみを持って接してもらえるから、私も裸になって生徒たちに飛び込んでいくことができた。
授業はあくまで本来のタイ人の先生たちが進めていくので、われわれ日本語パートナーズは先生とペアになってネイティブスピーカーとしての特性を出していく。これはコツをつかむと、後は臨機応変に授業が進められるようになった。
日本文化に対する生徒の関心は深く、私は無手勝流で生徒と一緒にお茶をたててみせたり、剣道や相撲を生徒相手にやってみせたり、年賀状を書いてもらったりと、悪戦苦闘したが、どれも目を輝かせて取り組んでもらえた。
文化祭では日本ブースをつくり、生徒たちが自ら企画してお好み焼きやすしのコーナー、あるいは日本の漫画を描くコーナーなどを出し、秋葉原系のカフェまで登場した。日本ブースは学内でも指折りの集客数を得たようだった。
彼らが日本にさまざまな形で親しみ、日本へ行ってみたいとの夢を膨らませていることは、本当にうれしいことだった。そうした彼らに、さらに日本への親しみを持ち理解を深めてもらえたとすれば、私にとってもこの上ない半年だったといえると思う。