ザンビアより隣国コンゴへ出張時の
配属先のザンビア政府開発庁輸出課長と
ザンビアの首都ルサカにて初の日本レストラン
Nippon Sushimaiのopening ceremony風景
(中央が前在ザンビア 小井沼日本大使、右端が筆者)
アフリカ最大の人造湖Kariba湖
2015年7月よりJICA投資促進アドバイザーとして南部アフリカのザンビアに派遣されている。
ABICに紹介いただいたJETRO関連のコンサルタント業務にてタンザニアに出張中の2015年2月に、コーエイ総合研究所がザンビアの専門家を募集しているとABIC経由で連絡を受けた。同募集の締め切りは2月23日、そして2月27日の面接当日に南アフリカ経由で羽田に到着し、その足で面接試験を受け、幸いにも合格、同社と共に上記業務を受注した。
私は1972年三菱商事に入社、2013年4月末に退職と42年間の商社生活であったが、そのうちアフリカ南部の小国ザンビアに1988年より5年間、そして念願のヨハネスブルクに1999年より異例に長期な14年間駐在。その結果、アフリカ合計19年間の駐在生活を満喫できた。
アフリカとの取っ掛かりは1988年ザンビアにある三菱商事の子会社である丸ノ内自動車への出向であった。従業員120人ほどの三菱自動車の正規輸入代理店の副社長として現地の社長の下でこれまた精神的にタフな5年間を過ごした。
その後現地生活・取引慣習等にも慣れライバル三井物産と競合しつつトラック・バスは三菱自動車製、乗用車はトヨタ製(三井物産取り扱い)とザンビア政府による車のStandardizationに成功することができた。この影響も大きく、2015年にザンビア入りした際、依然三菱自動車製トラック・バスが圧倒的存在感を持っている光景を目の当たりにし、何ともいえぬ感情が込み上げてきた。
ザンビアでは産業省傘下の開発庁に配属されている。同庁では海外、特に日本よりの投資促進支援の目的にて現地職員2人のCounter Parts(以下C/P)とコンビを組み、on the job trainingを通した能力向上・投資促進支援を行っている。
2016年2月にはC/P2人と共に南アフリカ在日系企業を訪問し、ザンビアの長年の政治的安定性および治安の良さをアピールしつつ、銅依存経済よりの脱却を目指し、ザンビアへの進出・投資を実地に働き掛けてきた。従来あえて申し上げれば「待つ」姿勢であったザンビア開発庁が対応を変え「積極的に取りに行く・働き掛ける」重要性を身をもって習得し始めてきたのではと、若干ながらこれまでの成果を感じている。しかしながら日本よりはるか遠隔地のザンビアを知ってもらい、まずは取引を始めていただけるようC/Pの尻をたたきつつ奮闘している実態である。
現地の慣習では、いわゆる「ザンビア時間」に大変苦労している。約束した時間に平気で30分以上も遅れるし、突然のキャンセルも日常茶飯事的に起こっている。政府職員、特に高官になれば「偉くなった証し」的に30分以上の遅れである。最近も日系企業関連での開所式で主賓の大臣が30分遅れとなったが、これなどは「まだ良い方」と現地在住者はコメントしている。
アフリカ駐在生活19年の総仕上げ、かつ最後のご奉公として第2の故郷ザンビアで日本よりの投資Advisorとして引き続き携わっていきたく、アフリカにご興味のある方・企業等があればぜひご一報いただければ幸甚である。