高校生国際交流の集いでのスピーチ
兵庫国際交流会館 日本語教室風景
(中央が筆者)
兵庫国際交流会館 講師控え室にて
(左端が筆者)
それは、気が付けば20年の単身赴任生活になっていた中国天津市からの一時帰国で日本に滞在していた夏のことだった。ベトナム駐在中にお世話になったM氏から「ABICって知ってる? 日本語交流とか国際貢献しているボランティア団体なんだけれど、女性会員が少なくて探しているから、ま、瀬尾さんも女性といえば女性だし」と声を掛けられたのが始まりだった。まさに伴侶や両親のことで日本帰国を迫られ悩んでいる時であり、背中を押されるようにABIC関西デスクを訪問し、コーディネーターを紹介され、気が付けばABIC関西・暑気払いの会に座って入会の自己紹介をしていたのであった。私など足元にも及ばない経歴と経験を持っておられる諸先輩方々を前にして、緊張の中にもエネルギーと歓迎の温かさを感じ、陶酔の境地であったのを覚えている。悩むことなく帰国を決心し、あらためての異文化遭遇に不安を感じながら合計20年の中国天津市での生活を引き揚げた。
日本帰国後、兵庫国際交流会館の留学生との日本語交流活動に参加させていただくことになり、天津市在住の日本人駐在員支援活動の一環であるインターナショナルスクールでの日本人生徒・保護者の学習・進路指導、異文化理解、現地日本語学習者への支援経験を活用して交流活動を楽しんでいる。
ABICの日本語交流活動は、一般的な日本語教室とは異なり、日本語を通じての交流を活性化する目的であると私は理解している。実際に言語というのは、意思疎通のツールであるが故にその根底に流れている文化意識は非常に大切だ。文法や語彙を習得することはコンピューターのプログラミングと同じであるが、私たちは人間である。その人間として学習する喜びを知り、知識を深め、知恵を育てていくには、疑問を持つことが始まりになる。「なぜだろう?」と感じるのが全ての学問の始まりであり、それを学び、追求し、自分なりの答え、「そうなんだ!」を探し当てる。その喜びこそが学習の成果だ。言葉も同様に、自分の考えをどのように人に伝えようか、どのように表現するかを模索することで学習する。そのようにして身に付けた母語を基に第2言語を学習していけば効果的である。日本という異文化社会に飛び込んできた留学生と共に疑問や発見を分かち合いながらお互いに考え、留学生の自文化と比較しながら討議する90分はあっという間に過ぎてしまう。
上述以外にも、講演の機会を得た高校生国際交流の集いで知り合った留学生や日本の高校生だけでなく、彼らを支援する学術関係者にも感銘を受ける。大津市の中学との交流後の生徒からの手紙は私の宝物だ。このように何かを求め、自ら学習していく生徒、留学生、子供たちから学ぶことは珠玉である。
今、世界情勢はかつてのone worldを目指した時代とは異なってきている。政治と経済の癒着、民族、宗教闘争と世界平和に反する不穏要素であふれている。その中で、若い世代が国境や文化を超えて共に世界平和を考え実現する力をつけるには、われわれ、経験者がその経験、知恵を共有しなければならない。それはかつての私たちが生きた時代が正しいと強要するのではなく、次世代人間が文化を超え、人間として正しく生きる意味を考えていく力を養うための支援をすることだ。ABICはそのための活動を今後も続け、世界貢献をしていくものだと私は強く信じている。