活動会員のレポート

苦悩する中小製造業の はざま

  米山 よねやま 俊孝 としたか (元 伊藤忠商事)


中小製造業の工場内部

一つ一つ手作りです(右が筆者)

販路開拓の相談(左が筆者)

 2017年3月までの3年間、私はABICの紹介で東大阪市役所に属する公益財団法人で「販路開拓・海外展開支援コーディネーター」として働き、これまでの長年の民間企業での常識や経験とは大きく異なる発想・考えの中で貴重な経験・体験を積むこととなった。
 卑近な例では市内の企業訪問の際に事前に『出張願』を申請し許可が必要であること、ちなみに市内の移動は「域内出張」、市外に出るのは「域外出張」と呼んでいる。特にサラリーマン生活においては日々やれ「売り上げ」だ「利益」だ「予算達成」だと明確な目標・計画に基づいて業務を行ってきたが、今回の仕事においてはそのようなものがなく、どのようにしてモチベーションを維持していくかが大きなポイントとなった。
 職場は『モノづくり相談窓口』(ちなみに大阪府では「ものづくり」、関東の自治体では「ものつくり」と言っている)という呼称であったが「待ち」の姿勢ではなく積極的に外に出ることを目指し「一日一社」という目標を設定し、結果3年間で400社以上の市内中小製造業を訪問することとなった。
 さて東大阪市は「モノづくりのまち」を標榜ひょうぼうし市内には公称約6,500社の製造業が集積しているが、その中では圧倒的に機械関係や金属関連企業が中心となっている。一方私のこれまでの業歴は繊維原料や衣料品がメインであり、最後の10年間は国際物流管理やスーパーなどの流通業界向けの衣・食・住関連製品の生産管理にタッチしているものの(結果中国駐在は計4回通算17年となった)、これら機械や金属に関しては全くの素人、一般常識程度の知識しかなく専門用語などはチンプンカンプンの状態であった。仕方がないので最初の半年程度は身の回りにあり多少は話ができる日用品・文具・容器などを生産している樹脂関連の企業を主に訪問してその間に初対面の公益財団法人のスタッフとしての話の糸口や間合い、市の行っている製造業向けの補助金・助成金をはじめとした施策の分かりやすい説明の仕方、それら企業の近況や問題点の聞き出し方などを手探りで勉強していった。その間「成形」「切削」「研削」「接合」「鍍金ときん」「鋳造」「鍛造」「冶金やきん」「絞り」「塑性」「鋲螺びょうら」等々のこれまで聞き慣れない金属加工関連の単語を一つ一つ頭に入れながら徐々に機械や金属関連の企業への訪問を増やしていった。
 東大阪市の製造業は松下・三洋・シャープといった関西系家電・弱電メーカーの下請け企業として発展してきたといっても過言ではなく、最盛期には1万2,000社余りもあったが、それら大手メーカーの海外進出・海外生産が主流となる中で取り残された形となり、さらに後発の韓国・台湾そして中国の家電・弱電メーカーの追い上げ・追い越しで環境が悪化し、企業数も半減している(東の横綱の大田区の製造業数が既に往時の3分の1となっており、東大阪市でも実態はやはり3分の1程度の4,500社前後と推測される)。もちろんその中で近頃話題となった『下町ロケット』の佃製作所のモデルとなった「㈱フジキン」(池井戸潤氏が銀行マン時代担当した企業、テレビ放映終了後、東大阪市役所内で特別展示開催)など全国区に成長した企業もあるにはあるが、そのほとんどは従業員4人以下のいわゆる零細下請け企業が大半であり、長年値上げが認められない工賃の中で苦戦・苦労を強いられているのが実態である。その中でも最近の大きな問題となっている「事業承継・後継者不在」に直面している企業も多く、どうやって生き残るか、どうすれば生き残れるか深刻な状況となっており、販路開拓や海外展開などの前向きな話が出る企業はごくごくわずかといえる。
 そのような環境の中で政府や経済産業省が推進する中小企業育成・強化策としての「BCP」や「経営力向上計画」の策定や今流行の「IoT」や「i4.0」「標準化」などの技術力向上の取り組みに応じられる体力・規模のある企業も数えるほどしかなく、われわれとして何が真に求められている「支援」なのかを考えさせられる毎日であった。