活動会員のレポート

香港大学・香港科技大学の日本トップ企業視察ツアー帯同

  有坂 ありさか あきら (元 バンダイ)


総合商社でのワークショップ発表

地震に強い家体験(前列左端が筆者)

 2018年1月、アジアのトップ大学生による日本のトップ企業の視察研修に、日本の学生ボランティアと共に通訳や世話役として帯同参加した。香港大学・香港科技大学の2校で38人の学生は互いに異なる専攻や学年が混在する初顔同士。香港が1997年に中国に返還された後に生まれた世代の若者たちは、広東語・英語・北京語をこなし、日本語も各自が学校や独学等のいろいろな方法で身に付けて移動中もたくましくコミュニケーションを取ろうと活発だった。日本に滞在する2週間で日本の企業16社と接し、企業から提供されるワークショップや事前に各社からいただいた課題への提案プレゼン等の学習型研修に、毎日討議を重ねて、日本のビジネス社会や街角体験をした。参加者は皆日本での就職を優先度高く意識しており、今回訪問した日本企業の海外人材受け入れ体制について鋭い質問をしていた。日程の最後には香港の大学のキャリアセンターからも先生が加わり、最終日には成果報告会。パワーポイント(PPT)でのプレゼンに加え、映像を20分程度にまとめたビデオの編集も移動しながら仕上げた者もおり、参加者全員で感動を共有した。
 私にとっても彼らを通じた目線から見た日本に幾つか発見があった。学生の宿泊は浅草のドミトリー形式のホステル。雷門から周辺一帯は外国人客が多く、各店では英語表記やメニューを用意した国際対応だった。一方で銀座線沿線の虎ノ門や新橋は国際化が遅れていた。学生の中には個人旅行で日本慣れしている者もおり、九段下の武道館や水道橋の東京ドームに声優やジャニーズのコンサートに来たことがあったり、自由時間を使って恋の成就のお守りを神社に一人で買いに行く。歴史好きな子は、靖国神社に行くなどしていた。
 日本語の発音が良い子に聞くと、先生に習わずにスマホアプリで独学したという。人から習った人たちよりもきれいな言葉遣いだった。一方でラーメンを食べる時に、「音を出して食べないといけないんですか?」と肺を膨らませる子がいたり、彼らが頼りにする情報源に偏りがあるようだ。
 幼少期から常にトップ2割以内にいて上位で生き残ってきたエリートたちだが、好奇心スイッチを全開にして日本から何かをつかもうとしていた。小さな事でも観察して「WHY?」と質問する習慣が身に付いている様子は、日本人には脅威だ。グループで移動するときに後部で全体を気遣う胸板の厚い子はラガーマンで、日本社会でも即戦力になりそうな人間力の持ち主だった。
 ある企業ではホテルの新規開業企画を提案プレゼン。この企業では海外各地で現地雇用しているものの、あまり提案がないという。日本の会社風土が意見を言いにくくしているのか? まだ学生の彼らには新しい意見を発する元気があるようだった。
 これからのグローバル社会やビジネスを担う海外と日本の若者同士の良い距離感に安心する一方、片や日本の中堅企業や一般社会人がどれだけ対応できるか不安な面を痛感した。
 個人的には、社会人1年目の1982年からの香港駐在を皮切りに3度で通算18年のアジア勤務を通じて出会った、今回ご一緒した若者たちの親や祖父母世代の香港やアジアの方々への恩返しとして、今後もこのような橋渡し役をライフワークにしたいと強く思う時間であった。