大学卒業後素材メーカーに就職して以来、輸出に始まり海外での合弁事業の立ち上げや運営管理、2度の米国駐在、身の丈2倍の英国の同業メーカーの買収と、キャリアの全てを海外関連業務部門で過ごした。この経験を次世代の大学生たちに伝えることができたら、彼らが将来の進む道を考える際になにがしかの参考になるのではないか、と思い始めたのがサラリーマンキャリア退職間近のころだった。全くの偶然で、東京工業大学大学院修士課程で日本人と留学生の混成クラスで国際共存という講義を英語で教える講師を探しておられることを知り、手を挙げたところ採用となり初めて教壇に立つことになったのが、退職翌年の2009年4月であった。
最初の戸惑いと試行錯誤を経てそれなりに講義のコツをつかんでくると、どこか他の大学でも可能性があるのではと思い始めたが、どうやって大学講師の機会を得ることができるか皆目見当が付かない状況であった。そんな時、現職時代仕事を通じて懇意になった住友商事OBの方からABICのことを紹介され早速登録をした。それが多分2010年春ごろだったと記憶する。東工大での英語での講義経験が効いたのか、時を待たずして2011年に創価大学、2012年に一橋大学と相次いで留学生対象の英語による講義講師の機会を与えていただけたのは本当に幸運であった。創価大学は、講師メンバーは大きく変わったが今でも継続中であり、一橋大学は、2021年度後期で終了となるまで10年間継続させていただけた。その他期間はそれぞれ数年と短かったが、関西大学、東洋大学でも機会を与えていただき、スポット的な仕事では中央大学や福井大学でも教える機会をいただけた。自分の勝手なPost-retirementの夢を実現させていただけたという意味で、ABICには本当にお世話になった。
この10年余りの間教室で経験した、主として海外からの留学生との交流はどれも忘れ難い思い出である。思わぬ質問をされて詰まることもあったが、おおむねどこの大学でも学期終了後の学生からの評価は高いものを得ることができたのは、講義の内容に自分の経験をできるだけたくさん、それも失敗談を含めて話すことを心掛けたからではないかと自負している。クラスに参加している日本人学生も内容的にはなかなか頑張ってくれたが、英語力の力量差はアジアの国々からの学生と比較しても歴然としており、ここは早急に何とかしなければならいところかと痛感した。留学生の何人かとはクラスの後に就職相談を受けたり、学期終了後もメールでのつながりが続いており、こんな仕事に就いたとかの話を聞くとうれしくなってしまう。こういった若い世代の、しかもいろいろな国の学生たちと教室で交流できたことは、自分への気付きを含め学ぶことは多々あった。
ご多分に漏れず新型コロナウイルス騒ぎでこの2年間、ほとんどのクラスはZoomを利用したオンライン授業となってしまい、教室で複数の国籍の学生が一堂に集まるという独特の雰囲気はなくなってしまったことは寂しい。ただこの年齢になってZoomという新しいツールの使い方をマスターできたことは、大学の講師ということをしていなければかなわぬことであった副産物であったと、ポジティブに捉えるようにしている。特に欧州の学生が現地時間早朝5時からという時間にもかかわらず、熱心に参加してくれたことは本当にうれしかった。
最後に正直に言うと、ABICから紹介された大学の講師をやってみて何よりの自分へのご褒美は、学生たちから「Professor Kawasaki」と呼ばれる時の何ともいえない気持ち良さであろうか。