
ペンシルベニア州ピッツバーグにて各国FDI担当と

タイの児童施設でのドネーションセレモニー
(左から12人目が筆者)

バンコクにてTractus Asia社のシニアメンバーと
ABICの活動で外国人向けに日本語を教えておられる先輩から入会を勧められABICに登録した。そのABICから紹介され、縁あってTractus Asiaというアジアと北米で展開する投資コンサルティング会社の日本法人に入社することができた。入社して1年になる。
Tractus Asia社は、米国の州政府や政府系機関の経済開発部門が注力している本邦企業の対米直接投資の促進・誘致、その結果としての現地雇用の促進のための活動を日本法人に業務委託している。また世界各国の事業法人向けに事業戦略サポート、市場調査、事業再編サポートなどを行っている。
現在、私はペンシルベニア州地域振興・経済開発局の日本投資事務所代表として本邦からの投資促進活動を担当している。私は61歳で退職するまで二つの外資系金融機関に勤務し、法人向け金融取引に国内外で携わってきた。今の業務とは親和性があるのか、割とすんなり着地できた印象である。
退職後の過ごし方は人によってそれぞれだと思う。収入を得るという目的は重要な要素である。加えて私は、社会と接点を持って何かをやり続けていないとストレスになってしまう。内外の人との関係構築のハードルに呻吟しつつも、新しい関係を醸成する業務は決して嫌ではない。
先に述べたとおり、ABICは先輩からご紹介いただいた。この方は前々職の銀行で私が1994年にタイに赴任した直後、真っ先にお目にかかった総合商社の方だ。このように仕事、プライベートの出来事の多くが、以前からの知人との縁であり、偶然・必然の積み上げで出来上がっていると思う。
1990年の年末、結婚直後に新潟にスキーに行き、右足の関節骨折という大けがをしたことがあった。当時私はフランス系の金融機関に勤務する為替・デリバティブ取引のカスタマーディーラーであり、相当悩んだ末、外銀から邦銀への転職を試み内定をもらっていたが、大けがをして入院したことで、その事案は流れた。一方、転職予定先の邦銀はその後の金融業界の激変によりなくなってしまった。あの時、妻から吹雪の中で「もう1本滑ろう」と言われて滑った結果骨折したが、同時に身をもって雇用の危機を回避できたのかもしれない。骨を折った翌日に入院の便宜を図ってくれたのは医師になった桐生高校の同級生であり、三井記念病院の整形外科の先生のおかげで何とか普通に歩いたり、走ったりすることができている。これも人のつながりを思うところである。当時は結局転職せず、タイに赴任する機会を得た。アジアでの駐在期間は14年に及び、タイは第二の故郷のような存在となった。
2024年より勤め始めたTractus Asia社は、2人の米国人が90年代初頭にタイで創業したコンサルティング会社であり、またしてもタイつながりが戻ってきたと思った。2024年12月に同社のマネジメント会議がバンコクであり、久しぶりにタイを訪れた。弊社におけるジャパン・ビジネスも拡大の兆しが出てきている。
前職の時からおおむねそうなのだが、私は業務を別段緻密な計画の下に行っているというわけでもない。しかし、根気よくやっているとビジネスが寄ってくるようなことが結構ある。これも大体は人のつながりが功を奏すことが多い。もちろん追い風ばかりの時はなく、そういう時は明るく耐えて次の追い風が吹くのを待つのである。