2003年7月JICA(国際協力機構、旧国際協力事業団)のシニア海外ボランティアとして日本語教育のためメキシコに派遣され、当地の日本語学校で日本語の教育指導をしている。
私の仕事は、日本語学校の運営・管理についての指導や助言である。具体的には、(1) 学校運営のための指導、(2)
指導要項・コースデザイン・カリキュラムの作成・指導、(3) 教材・テキストの作成・整備、(4) 現地教師の研修指導、(5)
日本語授業担当など。私の派遣先は、アメリカ・カリフォルニア州と国境を接するメヒカリ市にある日系人協会が経営する日本語学校「CENTRO
DE IDIOMAS DE MEXICALI, A.C.」である。(メヒカリはかつて有名な棉花の産地で、伊藤忠や丸紅など日本の商社が事務所を置き駐在員を派遣していたことがあるのでご存知の方も多いと思う)
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授業風景(ティフアナ校) |
この他に、エンセナダ日本語学校やティフアナ日本語学校の2校を週1回巡回して指導している。巡回といってもメヒカリからエンセナダまでは300kmあり高速バスで4時間、メヒカリからティフアナまでは200km、同じく2時間半かかる。メヒカリ校、エンセナダ校、ティフアナ校合わせて約150人の生徒(約80%がメキシコ人、20%は日系人)が熱心に日本語を勉強している。
メヒカリ校には他にJICA青年ボランティアの女性教師とメキシコ人の男性教師がおり、私を含めて3人の教師が合計週50時間余りの日本語授業を担当している。生徒数は約80人(80%メキシコ人、20%日系人)で、小学生の子供から中学・高校生、大学生、社会人、主婦と幅が広く、テキスト選びや教え方に苦労している。われわれ二人の日本人教師は授業以外にも学校運営に関する助言や年間計画、時間割作成、テキスト・教材の準備など様々な学校業務をしなければならない。
エンセナダ校は、日本から釆ている専任の女性教師が学校関係全般をみているので、私は週1回火曜日に主婦5人の生徒に2時間の授業を担当すればよい。
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ティフアナ校の生徒たち |
ティフアナ校は、これまで正式な日本語校として活動しておらず、私の仕事はまず開校準備から始めることであった。教室、付帯設備などは日系人協会のものをそのまま使用できたが、年間計画、カリキュラム・時間割作成、クラス編成、テキスト教材の選定・作成などに約3週間程費やした。約40名の生徒が集まり、授業時間は水曜日、木曜日各2クラス、合計4クラス(計8時間)とし、私一人が担当することになった。生徒は7歳から大人までで日本語のレベルも平仮名も読めない者から1年ほど日本で勉強したことがある者まで様々で、クラス編成やテキスト選定に苦労した。ともかく昨年9月第3週よりスタートし、現在も30人のメキシコ人と10人の日系人が日本語を勉強している。
私がなぜ日本語教育に関わるようになったのか、またなぜメキシコまで行くようになったのか、それは日本語が好きだということと商社にいて、海外との仕事の中で異文化に接し、日本の良さを再認識していたからだと思う。そして、それを60歳以後の自分のライフワーク、生き甲斐としてどう具体化しようかと考えていた時、このJICAプログラムに出会い、応募の結果採用され派遣されたからである。
メキシコで日本語教育に携わって1年が過ぎた。私の任期は来年7月まで後1年弱ある。引き続き日本語教育を通じて、メキシコの人達に日本語の素晴らしさや日本の文化、そして日本人の心を正しく伝えていくこと、それが私の役目ではないかと思っている。
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