2005年2月末、私はJICAより東ティモール大統領府金融・財政アドバイザーとして派遣された。日本出発前に、渡航前の最高記録である5種類もの予防注射をしたものである。どんな仕事が待っているだろうか、治安はどうか、どんな衛生状態の国だろうか、食べ物は何があるのだろうかと、期待と不安、好奇心と緊張感の入り混じった気持ちで、東ティモールの土地を初めて踏んだ。しかしながら着任初日、グスマン大統領の魅力溢れる笑顔と熱い抱擁で歓迎され、すっかり気分は和らいだ。
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大統領別荘にて 大統領(中央)と筆者夫妻
2005年末、共に独立闘争を闘った元兵士達と大統領府職員及び家族が招待された |
同左 忘年会での一コマ |
ディリでの生活が始まってみると、治安は問題ないし(注:2006年2月末に帰国したが、帰国後治安が急激に悪化してきていると報道されている)食べるものも贅沢を言わなければ、スーパーにうどん、そばをはじめとして差し当たっての生活には何でもあることが分かった。ただし現地産の物がほとんどなく、野菜、果物の類までみな輸入品である。値段は日本のスーパーと余り変わらない。ある米国の調査会社が行ったアジアの39の都市における、食料品、電気製品、衣類等の125の品物・サービスの物価水準調査によると、1位から3位は東京、横浜、神戸の日本勢が占めて、ディリはシンガポール、北京よりも上位で8位となっている。当国には、年間700万〜800万ドル程度の輸出力を持つコーヒー産業以外に見るべき産業はなく、生鮮野菜や熱帯果物以外に、国産品はほとんどない。米も含めて食料品、日用雑貨の類まで輸入品に依存している。
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廃墟の宮殿という名の大統領府建物 |
ディリ市突端の岬にあるキリスト像。スハルトが罪滅ぼしに贈ったもの |
グスマン大統領は、演説の中でよく「東ティモールは東南アジアで最も貧乏な国、世界の十大貧乏国のひとつ」と話す。その貧困の度合いは、日本人には想像するのも困難であろうと思う。2004年の1人当たりの国民所得は366ドルに過ぎない。ちなみに、米国中央情報局(CIA)の“The
World Factbook”によれば232ヵ国・地域の中で最下位となっている。1日1ドル以下で暮らす貧困層は4年前の調査で40%を超えている。その後、国連や援助国関係者の大幅なプレゼンスの縮小もあり、国民総所得は落ち込んでいる。高い人口増加率も加味すれば、貧困層の絶対数はかなり増大していると思われる。
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週末早朝ウオーキングで出来た友達 |
国づくりの年間所要資金2.5億ドルの相当額がまだ国際援助に依存している一方、ティモール海の豪州との共同海域の石油・天然ガスからの収入が急増している。2005年7月に創設された石油基金は昨年末で既に3.7億ドル貯まり、本年末には10億ドルに達するとみられる。今後30年間には250億〜300億ドルの収入が期待されている。この神の恵みとも言える天然資源からの収入を腐敗・汚職の温床とせず、貧困削減、持続可能な経済発展、人間開発のために有効に活用して行って欲しいものである。
帰国後、数人の友人から東ティモールは独立しない方が良かったのではないかと聞かれたが、インドネシア統治の四半世紀に20万近くもの東ティモール人が虐殺されたということを聞くと、私も東ティモール人であれば、独立を勝ち取るために戦ったと思う。
(4月25日筆)
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