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厚沢部町役場、観光協会スタッフとツアー参加者
筆者右から6人目 |
2008年12月の初め、ABICに北海道庁企画振興部地域づくり支援局から本件の企画が持込まれ、種々すり合わせを経て、ABICとしての出来る限りの協力・支援が約された由で、年末に募集案内があった。移住・交流の促進と地域活性化への取組み支援のモデルケースにしていきたいとのことで、興味を持ち参加した。首都圏と関西からの2グループの構成で、首都圏グループはABICが受け持った。関西グループにもABICから1名参加したとのことであった。
人材受入れツアー参加者6人(注)が、函館からマイクロバスに揺られながら厚沢部町に着いたのは、厚い雲間から陽光が漏れる2月初旬の昼下がりであった。町外れにある「鶉温泉」で荷物をおろす。温泉の鄙びたイメージと異なり、意外にも、とんがり帽子の飾り屋根のあるしゃれた洋風建築であった。
厚沢部町は、北海道南西部にある人口5,000人足らずの過疎の町で、1960年の10,651人をピークに年々減少したという。地理的に函館から約60キロ離れ、車で約1時間半かかる。内陸地ながら、天候に恵まれ農耕に適した肥沃な平地と広い森林を持つ。基幹産業の農業生産額は約40億円に上る。
第一日目、厚沢部町の渋田町長は、全体会議の席上、今回の人材受入れツアーを企画した背景について「厚沢部は、敢えて“世界一素敵な過疎の町”を標榜している。元気な町を創りたい。この町の課題に今後いかにして取り組んで行くべきかについて、経験者からノウハウと指導を受けたいためです」と述べた。
町の活性化の一環として、厚沢部町が立ち上げたのが移住・交流事業だ。2008年から大学の「アウト・キャンパス・スタディ」の誘致やテレワーク実証実験などの交流施策に積極的に取り組み、また、2009年秋には2地域居住用住宅4棟が完成するという。これによって町を活性化し、新規雇用を創造するのが狙いだ。この事業はいまや、国交省のモデル事業ともなっている。大山氏(北海道庁主幹)の説明によれば、「北海道における“ちょっと暮らし”キャンペーンが受けたようで、2008年度の北海道への移住希望は2007年度を超えた」という。また「移住者の中には、多彩なキャリアを持っている人がいることが分かってきたので、そうした人材を生かすことで相乗効果を狙いたい」という。
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開陽丸を背景にツアー参加者全員で記念撮影
左から
花澤、筆者、久保山、安田、
遠藤、佐藤の各氏 |
第二日目、観光協会から町の観光開発のための諸イベントや歴史遺跡の説明を受けた。厚沢部町では、低温ながら温泉が湧く。現に町が参加者に提供した宿泊施設は、「鶉
」、「俄虫
」という名のそれぞれ立派な温泉旅館だ。厚沢部温泉の課題は、海のないこの町への訪問リピーターをいかにして増やすかにある。
厚沢部町は高齢者に対する充実した生活支援制度を持つ。同町では、3人に一人が65歳以上であり、敬老福祉年金(一人3万円)を一律受給できる77歳以上の高齢者が678人もいる。
第三日目、上の国町と江差町をバスで訪問。参加者は、他町との比較を通じて町同士の広域連携的な振興策を提言した。そして、厚沢部への帰途、博物館として港に展示されている、戊辰戦争時に沈没した開陽丸を見た。強い冬の海風を頬に受けながら開陽丸を背景に全員揃って記念写真を撮った。
参加者6人の多くは大手商社のOBで、数年前までいずれも現役の商社マンとして世界に雄飛していた兵(つわもの)揃いだ。6人は、10日の朝、函館から家路に着く前に、誰が言うともなく厚沢部を支援する同志の会「6人の侍」として今後の協力を誓い合った。
(注)参加者(敬称略、氏名五十音順)
首都圏グループ:遠藤隆雄(元 ニチメン)、久保山毅(元 岡谷鋼機)、佐藤敏(元 伊藤忠商事)、
中嶋鴻明(元 日本貿易振興機構)、花澤和郎(元 ニチメン)、安田勤(元 丸紅)
関西グループ参加者:松本卓三(元 伊藤忠商事) |