マンスリー・レポート No.107 (2009年11月)
活動会員のレポート
  メキシコ工場進出支援業務を終えて
    田中 たなか 徹郎 てつろう (元 伊藤忠商事)

 1609年、京の商人田中勝介一行が日本人として初めて現在のメキシコの地を踏んで以来、今年は日本メキシコ交流400周年にあたる。これだけ遠く離れた国同士がこのような古い関係を持つのは世界的にもあまりないのではなかろうか。
 また、歴史にIFが許されるならば、1917年、日本とメキシコがドイツの戦略(チンメルマン電報)に応え米国に宣戦布告し、勝っていれば、メキシコは1846年〜1848年の米墨戦争で失った領土(テキサス、アリゾナ、ニューメキシコ)を奪回、日本はカリフォルニアとパナマ運河の割譲を受け、日本とメキシコは隣国になっていたと思うと、メキシコと日本の不思議な因縁を感じざるを得ない。

 さて、ABICのご紹介でこのメキシコ(及びアメリカ)を舞台とするお仕事をいただいたのは2007年7月であった。メキシコの保税加工制度(マキラドーラ)を利用し、液晶テレビの基幹部品加工のためメキコに工場進出計画をすすめるS社に対する支援業務である。 工場建設地は、バハ・カリフォルニア州プラジャス・デ・ロサリト(ロサリト・ビーチ)市、米国(サン・ディエゴ郡)との国境ティフアナ市(人口150万、メキシコ第7の都市)より27キロ、車で40分程度、人口10万弱のリゾート地である。もともとティフアナ市の一部であったが1995年に予算配分でもめたあげく独立した経緯があり、今でも不仲である。 因みに米FOXが、「タイタニック」(アカデミー賞受賞映画)ロケのため1996年にスタジオを開設、これが契機となり、ハリウッドスターなどのアメリカ人が訪れるようになり、観光地として更なる発展を遂げてきたという。
 米・メキシコ国境地帯特有の治安問題より、米側サン・ディエゴに居を構え、メキシコに日帰りするというパターンであった。悪化の一途をたどる組織犯罪に、メキシコ地方警察はコロンビアの警察に支援を要請した。この合意調印セレモニーを報じるTVニュースに接し、コロンビアに長年駐在経験をもつ私はなんとも複雑な気持ちになった。

 さて、最初に取り組んだのは工場用地の買収である。メキシコ全土の約51%がいまだにアステカ時代に起源をもつ“エヒド”という共有地に属し、土地売買はきわめて複雑と言われている。S社の工場予定地も個人の所有ながらエヒドの管理下にあり、売買交渉もエヒドの執行委員会が相手となった。 一旦合意していた価格が執行委員の交代により撤回され、再交渉より私の出番となった。現れたのは西部劇に登場する悪漢を想起させる趣の強面で、大柄なオジサンが5〜6名、一瞬緊張感が走った記憶が鮮明である。
 工場用地の次は電力と上下水道の確保。特に水はティフアナよりの供給に頼り、ただでさえ水不足にあるロサリトだけに難航した。次にマキラドーラの政府認可申請に取り組んだ。認可取得には最悪2〜3ヵ月かかる、素人には無理、弁護士事務所なり専門業者にまかせるべきとの周辺からの圧力の中、直接、州経済省担当局長に当たり、これなら自分できるとの確信を得て独自に申請手続きを進め、幸いにも2週間程度で許可が下りた。
 2007年9月、整地工事を開始、半年後の2008年3月末には工場稼働にこぎつけたが、クリティカル・パスはマキラドーラ許可取得にあったと言っても過言ではないと思う。 工場稼働後はS社アメリカ会社を拠点とし、主に法務・会計・税務面(アメリカ会社業務を含め)での支援を続けたが、2009年8月末をもって2年に亘る業務を無事終了した。

 私の知見・体験をもとに活躍できた有意義な2年間であった。ABICとS社にこの誌面をお借りしてお礼申し上げる。

メキシコ公認会計士、税理士と協議する筆者(中央) ロサリト・ビーチ
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